■『大阪豆ゴハン』

『大阪豆ゴハン』が文庫になっとったんで、買ってしまった。大人買いである。全六巻、4000円ほど。中学生時代はマジック・ザ・ギャザリングを箱買いしてたニイチャンを見て「大人だぁ」と思ったわけで、4000円では全然大人じゃない。まあ、よろし。
ぼへーと三巻まで読んだら、突然地震の話になったのである。ものすごい地震が起きて、連絡を取り合う。職場の人間が出てこんので香港経由で電話をしたら、どうにか無事だが電気もガスも出てこない。そう、神戸震災の話である。
大阪人のアホらしい話ばかりやる『大阪豆ゴハン』で、その地震だって、ちょっとは笑える話になっている。なっているのだが、やっぱり全体的に神妙な空気なのである。ハゲをズラで隠してる親戚のおっさんがいて、いつもはみんなで笑い話になっているのに、葬式の時だけは厳粛で、笑わない。そんなん。
■『神戸在住』

『神戸在住』でも、やはり、神戸震災の話があった。生まれも育ちも神戸という中国人の林君が神戸震災の出来事を語る。家族は幸いにして無事だったが、家も建物もボロボロになっていて、学校の体育館で過ごす。市民グループを作って、活動する。そういったエピソードが語られる。
それは不思議な感覚である。絵柄も変わっておらんし、雰囲気だってそれまで通りである。何も変わっておらず、ただキャラクターが現実にあった事件を喋りだしただけである。それなのに、騙し絵がひっくり返ったように、ひゅっと何かが変わったような気になる。
■マンガに出てくる現実
マンガが現実に接続したような感じがするのである。それまでは現実らしく作ってあって、ちょっと大阪や神戸まで行けば会えそうにしている。だが、しょせんはマンガであり、作り物なのだと思って読んでいる。それが自分が同時代として見た事件が出てくるだけで、本当に繋がってしまったような気になる。
『大阪豆ゴハン』でレイアウト事務所のハルさんが水道や電気に困っていたころ、『神戸在住』で林君が寝袋や飯を持って駆けずり回っていたころ、千葉にいた俺は風邪でダウンして布団にくるまっていた。テレビ越しに見た光景が、ひょっと思い出される。その延長線上にマンガが繋がる。
俺はまだ二十四だけども、歳を取るってのはこういうことかもしらん。フィクションが真に迫ってくる。例えば、マンガにバブル時代の話が出てきても、俺にとっては他人事だった。ところが、神戸震災のエピソードが出てくると、不思議と他人事でない。
自分の知っている、同時代に起きた出来事がフィクションの世界に登場する。自分の知っている現実がマンガに登場する、より身近な世界であろうとする。歳を取るごとに、フィクションってのは変わっていくものなのかもしれん。
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