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■2007/11/30(金) 子育てマンガが熱い(『うさぎドロップ』と『よつばと!』) このエントリーを含むはてなブックマーク

うさぎドロップ (1) (FC (380))  よつばと! (1)

 ここに、ある会社員がいる。青年というには難しい年頃なのだが、まだまだ中年でもない。昔の仲間や同級生たちは結婚し、幸せな家庭や子供を作っている。一方で、男は仕事はできるのだが、結婚どころか恋人もいない。自分の生活には不満もなく、はっきりとうらやましいわけでもないのだが、ほんの少し焦りや空しさを感じている。

 この男の祖父が亡くなった。寿命を全うした、大往生である。ただ、この爺さん、ずいぶんと元気な人だったらしい。なんと爺さんには愛人がいたのである。婆さんの方は既に亡くなっていたので、ちゃっかり新たな恋人を作っていたらしいのだ。しかも、爺さんと愛人の間には一人の子供ができていた。それがりんという少女である。

 愛人は行方をくらませており、幼いりんは母親の顔も覚えていない。爺さんが死んだ今、りんは一人残されてしまったわけである。爺さんの親族は遺産が減ってしまう、今更子供なんて育てたくない、施設がどうやらと右往左往する。唯一の肉親だった父を失った少女は、顔面をこわばらせ、心を閉ざしていく。それに気づいた男はりんを引き取ることを決意する。

 これは『うさぎドロップ』第一話のあらすじである。

 さて、これと設定がよく似ているのが『よつばと!』である。一応、『よつばと!』も解説しておこう。

 『よつばと!』にも青年とも中年とも言えない男が出てくる。こちらは会社員ではなく翻訳家である。彼がどこだかの島に行った時、一人の子供を拾ってきた。それがよつばという少女である。『よつばと!』はこの二人が舞台となる町に引越してきたところから始まり、詳しい事情は一切明かされていない。

 全ての子供がそうであり、我々がそうであったように、よつばは遊ぶことが大好きだ。ブランコが楽しくて、立った乗ってみる。セミを取りに行って、友達の頭に虫取り網を被せる。おつかいに行って、こっそりお菓子を買ってみたりもするのである。『よつばと!』とは、そういった些細な日常を描いたマンガである。

 以上のように、『うさぎドロップ』と『よつばと!』は、独身男性が結婚しないままに少女を引き取って育てる、という設定が一致している。しかし、実際に読んでみると、設定が同じことになど気がつかない。これらの作品で前提とされている家族観はまるで違い、それによって物語の展開がかけ離れたものになっているのである。

 まず、『うさぎドロップ』においては、家族になるということは非常に難しいことである。赤の他人同士が結婚して家族になるのだって難しい。それが大人と子供だったら、もっともっと難しくなるのは当然だろう。例えば、大人と子供ではただ話すだけでも難しい。子供が何を言いたいのか分からないこともあれば、話し方を間違えて怒っていると思われることもある。

 だから、『うさぎドロップ』では、誰もがりんを引き取りたがらない。爺さんの隠し子であったりんが見つかった時、大人たちはりんを押し付け合い、さりげなく施設に押し込むよう話を進めていく。男がりんを引き取る際も、「子連れではますます結婚から遠くなる」と反対されるのである。この作品における子供とは、苦難の道である。

 一方で、『よつばと!』の世界では、家族になるということに対して、何の障害もない。よつばと男はいとも簡単にコミュニケーションを取っているし、彼の友人たちはよつばを妹のように扱っている。お隣の家には三姉妹とその親である夫婦が住んでいる。この三姉妹がやはりよつばを妹のようにしているし、母親は娘のように接している。彼らはみな、ごく自然によつばを家族にしてしまえるのだ。

 だから、『よつばと!』の世界は安穏としている。西洋の宗教画で描かれるような、牧歌的な世界である。よつばは誰からも優しく接されており、幸せな時間を過ごしている。一人で遊び歩いても危険が迫ることはなく、父の友人やお隣はよつばの大きな家族となっている。この世界における子供とは、幸福の象徴なのである。

 どちらにリアリティがある、より面白いのはどちらだと書くつもりはない。同じく現実を舞台にし、状況も似たものであるのに、そこに描かれているものは全く違う。マンガとは味付け次第で、こうも変わるものなのか。この二作を読んでいると、このシンプルなことに気が付いて、驚く。
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■2007/11/29(木) 三姉妹という属性(『みなみけ』と『らんま1/2』) このエントリーを含むはてなブックマーク

みなみけ 1 (1) (ヤングマガジンコミックス)  らんま1/2 (1)

 おっとりしていて、優しく、時に怖い長女。元気で明るく、馬鹿な次女。クールで甘えん坊、慇懃無礼な三女。この南家三姉妹が学校に通ったり、家でご飯を食べたり、遊んだりするところを描いたマンガ。それが『みなみけ』である。

 解説だけ読むと、ほのぼの・癒し系のマンガのようにも思えるが、実際は違う。どちらかというと、微妙にシュールなネタの織り込まれたギャグである。可愛いキャラがシュールなネタを披露するギャグマンガ・『苺ましまろ』に近いものがある。

 例えば、次女のカナがクラスメイトの藤岡からラブレターをもらう、というエピソードがある。カナは1ページほど舞い上がった後、妹に「果たし状だ」と入れ知恵され、信じ込む。そして、サッカー部のホープである藤岡の左足にケリをぶちかまし、「軸足が動かなければ、黄金の右足は使えまい」と勝ち誇る。

 この話など、絵を描いているのが漫☆画太郎だったら、立派なギャグマンガである。いや、うすた京介でもしりあがり寿でも、結構しっくり来るに違いない。『みなみけ』というマンガは、たまたま桜場コハルの絵が可愛かったらそうは見えないだけで、内実は秀逸なネタのこめられたギャグマンガなのである。

 さて、マンガ界というか物語界には三姉妹という設定がしばしば登場する。例えば、ギリシア神話には見詰め合ったものを石に変えてしまうゴルゴン三姉妹が登場するし、北欧神話には時間を司る三姉妹が登場する。日本神話にも、宗像三女神という海の神がいるらしい。

 こういう書き方もなんだが、三姉妹というのは、なんとはなしに神秘的なのである。オタク的観点からしても、、三姉妹というのは独特の魅力がある。眼鏡やスク水という属性に惹かれるように、三姉妹というのは単語自体に色気がある。

 三姉妹の登場するマンガというと、個人的には『らんま1/2』のイメージは強い。これは水をかけると女になってしまう青年・乱馬と意地っ張りで少し乱暴な女の子・あかねがくっついたり離れたりする、ラブコメマンガである。

 あかねには二人の姉がいる。長女かすみはおっとりとして料理の上手な、一家の母的存在。次女のなびきは何よりもお金が好きという、ドケチな性格である。そして、三女あかねは上に書いたように、素直になれず、やや乱暴な少女である。

 同じ三姉妹といっても、『みなみけ』と『らんま1/2』では、当然ながらずいぶん性格が違う。ただ、不思議なことに、長女がおしとやかという設定だけは両作品に共通している。三姉妹の長女は穏やかというのは、セオリーと言っていいのかもしれない。
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■2007/11/28(水) 二次創作の手法(『ガンオタの女』と『The Book』) このエントリーを含むはてなブックマーク

ガンオタの女 1 (1) (角川コミックス・エース 194-1)  The Book―jojo’s bizarre adventure 4th another day

 『ガンオタの女』と『The Book』を読み終えた。超有名作品の二次創作とも言える作品が、偶然にも同時期に発売された。これらの作品を比較することで、二次創作という手法について書いてみる。

 まず、ガンダムという作品がある。正確には、『機動戦士ガンダム』というタイトルのアニメであり、宇宙空間をロボットで戦う戦記ものだ。主人公アムロが突然に戦争へ巻き込まれ、上官や友人と反発しながらも、成長する、というのが骨子である。友人に映画版三作を見せられた程度の知識しかないのだが、キャラクターの造形や台詞が印象に残る作品だった。

 『ガンオタの女』の主人公は、このガンダムが大好きなキャリアウーマンである。顔もスタイルも抜群によく、仕事もできるという理想的な女性である。社内のマドンナ、憧れ的存在である。しかし、彼女の部屋にはギレンのポスターが貼られており、床にはガンプラが何十体も飾られている。

 この主人公には、想い人がいる。主人公の勤める会社社長の甥であり、顔も性格も良い。こちらも理想的な男性である。しかし、彼はガンダムが大嫌いで、ガンダム関連の言葉やオモチャなどを見るだけ発狂する、という欠点がある。

 様々な個性的なキャラクターに囲まれながら、この二人がくっついたり離れたりする。ガンダムをエッセンスにしたラブコメである。

 ところで、この主人公の名前は賀ノ多(ガノタ=ガンオタ)であり、男は岸利(キシリア)である。真壁(マクベ)や難波奈留(ランバラル)というキャラクターも登場する。さらに、9話ではララァそっくりの外見を持つ少女まで出る。

 一見すると、我々の世界のどこかを舞台にした現実の物語のようにも思えるのだが、そうではない。現実世界にはキシリアやマクベを元にした名前の人間などいないし、ララァもいない。これは現実をモデルにした架空の世界をベースにした作品なのである。

 我々はガンダムというネタを共有している作品世界を楽しんでいる。ガンダム世界−作品世界−現実世界という構造になっているわけである。

 さて、『The Book』の話に移る。この作品の話をする前に、ジョジョの話をしよう。

 『ジョジョの奇妙な冒険』とは週刊少年ジャンプに連載していた、荒木飛呂彦のマンガ作品である。第一部から第七部まで存在し、個々の部で主人公や物語が変わっている。どの部も基本的には、ジョースターの血族が不思議な能力を使って悪と戦う、という設定になっている。

 例えば、第三部では吸血鬼であり、スタンドという不思議な能力を操るDIOを倒すために、第一部の主人公・ジョースターの夜叉孫である承太郎が旅をする。スタンドとは背後霊のように人間の背後に立ち、炎や水などを操ることのできるものである。スタンドは誰にでも使うことができるわけでもなく、また体の弱い人間に発現すると、死ぬこともある。これが原因で瀕死に陥った母を救うために、承太郎はDIOは倒すのである。

 『The Book』はジョジョ四部の物語を舞台にした、乙一のノベライズ小説である。これ以前にも、ジョジョは二度ノベライズされている。三部と五部である。これらの部は比較的ノベライズしやすい部であった。何故なら、三部は上記のように、物語の中に明確な目的が設定されていた。三部のノベライズは、この日本とカイロの途中にエピソードを挟み込むだけで済むからである。これは五部でも同じことが言えた。

 しかし、ジョジョ四部というの特殊な作品だった。この部には、全体としての明確な目的がなかったのである。「身近な日常に潜む狂気」というテーマの元に設定された異常なる殺人鬼を倒して四部は終了したのだが、そこに至るまで一貫したストーリーがあったわけではない。イタリア料理を食べに行ったり、マンガ家とサイコロゲームをするなど、まるで脈絡もないエピソードが描かれてきた。

 四部は何でもアリだった。おそらく何を書いても、ごく自然にジョジョ四部になる。だからこそ、乙一が何を書こうとも乙一テイスト風のジョジョになる恐れがあった。ジョジョ四部という物語に回収されてしまえば、ただのサブストーリーであり、小説としては失敗である。

 そういう不安が俺にはあったのだが、それは見事に外された。さすがに、乙一は見事であった。『The Book』はジョジョ四部の物語の後を書いた作品である。物語は三つのパートに分かれて、進んで行く。まず、一つは四部の主役の一人だった康一の話。もう一つは、スタンド使いになったある少年の話。そして、最後の一つは、とある場所に閉じ込められた女性の話である。

 特に、この最後のパートが秀逸であった。こういった閉鎖空間の描写は乙一の十八番である。例えば、『ZOO』という短編集に収められている、「SEVEN ROOM」という作品がある。これは殺人鬼にある部屋に押し込められた姉弟の話である。部屋は7つあり、一週間のうち、月曜は右端、火曜は二番目という具合に、順々に殺されていく。息が詰まるような閉塞感とは、まさにこれである。

 ふんだんにネタを仕込み、台詞回しに気を使うことでジョジョ作品であることを保証しながら、特異な状況を描くことで、きっちりと乙一の小説でもあった。二ヶ所ほど残念な記述はあったが、それ以外は非常によくできた面白い小説である。

 冒頭に書いた、二次創作の手法の話に戻る。『ガンオタの女』は上でも書いたように、ガンダム世界−作品世界−現実世界という三重の構造になっている。一方で、『The Book』はジョジョ世界=作品世界−現実世界という二重構造になっている。

 手法そのものが違うことは当然だが、その違いはどこから来たのか。それはガンダムとジョジョのファン層の違いである。『The Book』はジョジョ世界と作品世界が一体になっているため、仮に読者がジョジョを知らなくとも楽しむことができる。しかし、『ガンオタの女』のように、ガンダムという元ネタと作品世界が分かれていると、ガンダムを知らなければ楽しめなくなってしまうのだ。

 単純に結論だけ書けば、よりメタ度の高い三重の構造の『ガンオタの女』という作品の登場は、ガンダムという作品の浸透度の高さを表しているのである。
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■2007/11/27(火) ジャンプ感想に取り上げられやすい作品傾向(『ブリーチ』と『ToLoveる』と『P2!』) このエントリーを含むはてなブックマーク

BLEACH (1)  To LOVEる-とらぶる 1 (1) (ジャンプコミックス)  P2!-let’s Play Pingpong! 1 (1) (ジャンプコミックス)

 『ブリーチ』はマンガ界のマクドナルドである。とうとう、朽木隊長と目玉のおっさんの決着がついた。大方の読者が予想していた通り、朽木隊長が「俺の卍解は億万本あるぞ、全部は支配できまい、はっはっは」とやっつけた。

 こんなどうでもいいバトルが、なぜ三週間も四週間も引っ張られたのか、常人には分かるまい。しかし、そこが『ブリーチ』の良いところなのである。常人だったら引いてしまうくらい、あからさまにダメなマンガ。そこがいい。

 毎日毎日健康的な食生活をしていると、ふと物足りなくなることがある。一汁三菜をきっちり守り、よく噛んで食べても、満たされないものがある。そういう時、人間はマクドナルドで添加物でいっぱいのジャンクフードを食べるのである。

 それと同じである。ごく真っ当な、普通のマンガを読み続けていると、じょじょに何が面白くて面白くないのか分からなくなってくる。たまに、ものすごくつまらなくて、驚くようなことばかりするマンガを読みたくなる。そうやって、マンガ勘をリセットするのである。

 『ToLoveる』のシステム設計も、すごい。このマンガは、作品にテンションがなくなったなと思ったら、即座に陽か陰の新キャラを出して対応する。例えば、古手川のように自ら脱ぐのが陽の新キャラである。陽の新キャラは自らのパンツをさらすことで、作品に新たなパンツをもたらす。

 陰の新キャラとは、今週登場したケイズのようなキャラである。陰の新キャラとは、自らは脱がないのだが、既存のキャラクターを脱がせる役割を持っている。陰の新キャラは行動することによって、新たなパンチラのシチュエーションをもたらす。

 そして、物語の冒頭でおっぱいやパンツを見せることで、「今回はこのキャラの回ですよ」ということを読者に知らせる。それは「今回脱ぐのはこのキャラですよ」と同義である。今週は冒頭で御門先生が脱いでいるので、しばらくは熟女キャラの回であることが確定した。しかも、中盤では想定される読者と同じ年代も脱がせることで、熟女好き以外のニーズにも応えている。

 とうとう『P2!』が終了した。この作品の肝はキャラ造形にあった。兄に誉められるため卓球を始め、兄に打ち勝った晶は、兄のための卓球を自らに科すことになった。兄自身が卓球を始めれば、自分が卓球をする理由がなくなってしまう。

 一方で、兄の涼は磨き上げた技術に比例するだけの才能がなかった。練習量では超えられない壁があり、絶望した。妹に託すことで諦めたはずの気持ちが、いつしか大きくなる。彼は自らの卓球を再開する。

 不器用な兄と妹のキャラ造形は非常に巧みである。この二人に限らず、登場人物は全て繊細なキャラ造形がなされていた。この微妙な心理設計は『スラムダンク』にも似て、絵柄さえ違っていれば人気の出た作品であったかもしれない。

 さて、上記三つが、ジャンプ感想として上げられやすい作品である。まず、『テニスの王子様』や『ブリーチ』などのツッコミ枠、『初恋限定』や『ToLoveる』などのエロ枠、そして『サムライうさぎ』や『P2!』などの打ち切られ枠である。

 この三種の中でも、ジャンプで一番特徴的なのが打ち切られ枠である。ジャンプには、面白いのだけど、雑誌のカラーに合わなくて打ち切られてしまう、という作品が結構ある。そういう作品に対して、ネット内で打ち切られ枠というものが発生して、自然と擁護されていく傾向がある。最近では、ジャンプSQに対して、打ち切られ枠が発動し、擁護されていた。
09:56 | トラックバック(0) | コメント(2) | マンガ | Page Top


■2007/11/26(月) オススメの『ドラえもん』系ウェブマンガ このエントリーを含むはてなブックマーク

ドラえもん (1)

 マンガ、エロマンガ、ライトノベルと書いてきたので、今日はウェブマンガについて書いてみる。テーマは『ドラえもん』を題材にしたウェブマンガ。

 まず、『ドラえもん』の解説。『ドラえもん』といえば、国民的マンガで国民的アニメである。おそらく、マンガよりも大山のぶ代さんが声をやっていた旧アニメのイメージが強いだろう。藤子・F・不二雄先生の名作である。

 勉強もできなければ、運動もできない。将来の給料泥棒は間違いない。それが『ドラえもん』の主人公、野比のび太である。そんなのび太の元に、ある日ロボットがやってきた。未来の国から送られてきた、二つの丸をくっつけたような青いロボット。それがドラえもんだ。

 のび太があまりにもふがいないせいで、未来は大変なことになっている、とは彼の孫の弁。過去をどうにかして、未来も良くしようという考えの元に、家庭教師でお目付け役としてドラえもんが送られてきたのだ。

 毎回のエピソードは大体こんなもの。のび太が学校でいじめられて、帰ってくる。ドラえもんに泣きつくと、渋々ながら未来の道具を貸してくれる。その道具を使って、いじめっこをいじめ返したり、現実逃避をするのだけど、何故か必ず失敗する。ちゃんちゃん。

 最も正統的な、『ドラえもん』の笑えるパロディとして完成度が高いのが、亀吉さんの「21世紀中年」である。こちらは朝目新聞さんのネタ絵の掲示板で連載されていた作品である。

 この作品には、のび太やドラえもんは当然だが、ハットリ君や怪物君も登場する。だから、正確には藤子・F・不二雄先生のパロディマンガである。大きく原作と違う点は、そこに描かれているキャラクターの等身が異様に高く、リアルな劇画描写であることだ。

 そして、『ドラえもん』系のウェブマンガで一番有名なのが、「ドラえも」だろう。これは双葉ちゃんねる落書き@ふたばで連載されている、1マスマンガである。1マスマンガというのは俺が今考えた単語である。1マスの中ならコマは幾らあってもいいが、エピソードはその1マスの中で完結する類のものである。

 「ドラえも」では、登場人物の設定が大きく違う。主人公ののび太は何をやらせても完璧にこなす、イケメンの超人である。原作『ドラえもん』で完璧超人だった出木杉は女装が大好きの変態美少年である。しずかちゃんは優しさと凶暴さの二重人格で、ジャイアンは乱暴な少女になっている。そして、それらの美少女はみなのび太が大好きなのである。

 一言でまとめれば、『ドラえもん』のキャラ設定を利用しつつ、『ラブひな』のようなハーレム系にまとめた、ウェブマンガである。双葉らしいというべきか、ネットらしいというべきか、ごく自然とパロディが使われており、そこがオタク心をくすぐるポイントでもある。

 同じく双葉ちゃんねるで連載していた『ドラえもん』マンガで、俺が好きだったのがtkpさんの「ネジ」である。(作者のtkpさん本人はシリーズに名前をつけていないので、ネジというタイトルは仮称のものである)。

 このマンガの主人公は、ちょうど三十路を越えた女性・ユキちゃんである。マンガの1マス目は、ユキちゃんが手に持ったネジを眺めて、疑問符を浮かべているところから始まる。2マス目を見ると、ネジを持ったユキちゃんと頭を凹ませて、イッちゃった声と顔をするドラえもんが描かれている。どうやら、ネジはドラえもんの頭の中のものらしい。

 この三つの作品、同じ『ドラえもん』という作品を題材にしているのだが、実は元ネタとしている部分が違っている。「21世紀中年」は原作のマンガとアニメを元ネタにした、スタンダード派である。「ドラえも」はギガゾンビやメデューサなどが登場することからも分かるように、劇場版の設定が色濃い。

 それに比べると、「ネジ」の元ネタは何であるのか、判別し難い。実はこのマンガには、のび太もジャイアンも登場しない。そこに登場するのは壊れたドラえもん一つのみである。パロディというよりも、スピンオフと考えた方が分かりやすいようにも思う。

 ネットには『ドラえもん』のパロディが幾つもある。それらを見比べる時、それが何から来ているのか。そう考えると、ちょっと面白い。
09:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウェブマンガ | Page Top


■2007/11/25(日) ライトノベル手法の面白さ(『とらドラ』と『クビキリサイクル』) このエントリーを含むはてなブックマーク

とらドラ!1  クビキリサイクル―青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

 今電撃文庫で一番面白いラブコメ。それが『とらドラ』である。少なくとも、俺はそう思っている。その『とらドラ』を語る前に、ちょっとストーリーを解説しておく。

 『とらドラ』の主人公は、極道顔負けの凶悪な顔面を持ちながら、専業主婦顔負けの家事マニアという男子高校生・竜児である。彼は掃除に洗濯、料理と節約が大好きなのだ。それというのも、母一人子一人の家庭で育った苦労人だからである。

 ラブコメといえば、ヒロインも必須である。『とらドラ』のヒロインは大河という。天使が地上に降りてきたかのような愛くるしさと邪魔なものを力づくで排除する凶暴さを持った少女である。大河という名前から、校内では「手乗りタイガー」と呼ばれ、恐れられている。

 この大河は凶暴でワガママなお嬢様なのだけれど、とてつもないドジである。一人暮らしをしているくせに、自炊もできない。近所のコンビニ弁当がなくなったら、餓死しかけるほど生きるのが下手なのである。

 そんな大河が、竜児の親友に恋をした。声もかけられなければ、あいさつされても返事もできない。まともに顔さえ見られない。そんな不器用さを見かねた竜児は、すったもんだの挙句、ついつい生活と恋を手助けをすることになる。

 『とらドラ』というのは、だいたい以上のような話である。ちなみに、『とらドラ』というタイトルは、このヒロインと主人公の名前から来ている。とら→虎→タイガー→大河。ドラ→ドラゴン→竜児。という具合だ。

 さて、この『とらドラ』の面白いところは、登場人物が記号化されていないように見える点である。

 昨今のライトノベルは多かれ少なかれ、登場人物の記号化がなされている。極端な話、台詞一つ見るだけで誰が喋ったのか分かるのだ。ライトノベルよりもライトノベルらしい。ライトノベル論争の一端を担った『クビキリサイクル』を例にしてみよう。

 一応解説しておくと、『クビキリサイクル』とは西尾維新のデビュー作である。これは講談社ノベルスから刊行されていながら、電撃文庫を始めとするライトノベルの流れを強く持った小説であると言われている。

 『クビキリサイクル』では、戯言遣いを称するいーちゃんが親友兼恋人の玖渚友に連れられて、絶海の孤島へ旅行に行く。彼らは島で一週間ほど楽しく過ごす予定だったのだが、まるで小説のように殺人事件が起きてしまい、それを解決する。

 この『クビキリサイクル』の登場人物は極度に記号化されたキャラクターである。主人公は自らの言葉を戯言と称し、常に自嘲的な喋り方をする。玖渚友は自分を僕様ちゃんと言い、「うにー」などと発声する。エロゲキャラのようである。

 他にも、西尾維新のキャラクターは外見的特長や肩書きを持たせられていることが多い。『クビキリサイクル』続刊に出てくる、零崎軋識は金属バットに釘を打たせたような、独特の形状を持つ武器を持っているとある。そして、彼は「愚神礼賛」という肩書きを持っている。

 ようするに、ライトノベルの方法論においては、口癖や外見、肩書きなどでキャラの個性を作りあげ、表現することが一般的なのである。口癖は台詞、外見は地の文で記述することで、キャラを書き分けられる。そして、マンガにおける見た目のインパクトを肩書きによって代替しているわけである。

 ところが、『とらドラ』の場合は、こういった方法論がほぼない。例えば、竜児には「凶悪な面構え」という設定があるので、この言葉を使っただけで竜児という名前を記述する必要がなくなる。西尾維新なら、それだけでキャラ名を省略することもあるだろう。

 ところが、この作品では、「凶悪な面構え」というような記述があった場合は、必ず竜児という名前も一緒に出している。それが一つのコメディ要素、笑う個所にはなっているのだが、その手法はあまりにもライトノベルらしくない。

 『とらドラ』の面白さは、このライトノベル臭さのないところではないか。もちろん、ライトノベルは好きだ。好きなのだが、いつもいつも同じものでは飽きてくる。そういうニーズに、応えてくれるラブコメだから、特に面白いと感じるのではないか。そう思う。
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■2007/11/24(土) 一途な男性主人公への憧れ(『柳田君と水野さん』と『ラブロマ』) このエントリーを含むはてなブックマーク

柳田君と水野さん (ホットミルクコミックス 251)  ラブロマ 1 (1) (アフタヌーンKC)

 たまごまごごはんさんや真・業魔殿書庫さんが紹介していらっしゃるので、便乗してみる。旬ものは押さえるべき、という卑しい根性である。まあ、たまたま、何故か、俺の部屋にも置いてあったので、元手が要らないというのもある。

 まず、『柳田君と水野さん』のストーリーを紹介する。主人公は四角い顔に四角い眼鏡の柳田君。決して頭がいいわけでもないのに、学級委員長の男子高校生である。おそらく、押し付けられたのだろうけれど、そこに彼の不器用さが現れている。

 この柳田君が放課後に学級委員の仕事をしていると、クラスのアイドル水野さんから声をかけられる。「お願い聞いてくんない?」という可愛いおねだりを、この男は「何で普段から話さないあなたの言う事を聞かなきゃいけないんですか!?」とぶった切る。こいつは常にストレートな物言いしかしないのである。

 はてさて、この水野さんの「お願い」とは、フェラのことである。彼氏のためにフェラの練習台になってくれ。それが水野さんのお願いであった。最中に彼氏の存在を知ってしまった柳田君は悔しさからか、勢いからか、水野さんを押し倒す。アッー。

 事後にぼんやりしていると、外から水野さんの彼氏の声が聞こえてくる。「あんな貧乳見たら、萎えちまった」と、ひどい言いよう。これを聞いて柳田君の怒り炸裂。彼氏の顔面に左ストレートを叩き込む。(即座に反撃されて、フルボッコ)。柳田君の男らしさに参った水野さんは、ついつい惚れ込んでしまうのでした。

 水野さんはツンデレなので、ここから一冊まるごとツンデレパートに突入するわけである。エロマンガというと短編集が多いのだが、このマンガは最初から最後まで『柳田君と水野さん』の話となっている。

 で、この不器用な生き方とストレートな物言いを見ていて、連想したのが『ラブロマ』の主人公・星野である。こいつもとことん不器用な男である。『ラブロマ』は冒頭の1コマ目から「好きです」と告白が始まる、ものすごいラブコメである。

 星野には言葉を選ぶとか、行動で示すという選択肢はない。常にストレートな言葉で相手に迫る。彼の想い人・根岸さんは「知りもしない相手と付き合えない」とお断りする。そう、彼はまだ話したこともない、面識もない状態で告白したわけである。

 しかし、星野はすごい。断られても、諦めない。「知らないのなら、知り合えばいい」と、押して押して押しまくる。あまりにも猛烈なアタックに、とうとう根岸さんも根負けし、付き合うこととなるのである。

 男から見て、こういった行動がすごい男というのは憧れの対象である。例えば、顔が綺麗な男に対しては、「ふうん、だから何?」と見下す部分がある。また、サッカーが上手いとか足が速いという男に対しても、「まあ、生まれつきだからな」と認めるものの憧れはしない。

 だが、しかし、自分ならできないような行動が取れる男というのは、尊敬せざるを得ない。何故かというと、行動というのは誰でもできる。告白なんて誰だってできる。物理的にはできるのだけど、精神的にできないのだ。それを飛び越えられる男というのは、やはり尊敬してしまうのだ。
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■2007/11/23(金) 料理マンガと料理の出てくるマンガの違い(『きのう何食べた?』と『美味しんぼ』) このエントリーを含むはてなブックマーク

きのう何食べた? 1 (1) (モーニングKC)  美味しんぼ (1) (ビッグコミックス)

 41の美容師(♂)と43の弁護士(♂)が仲良く楽しく同棲生活。そう、二人はゲイのカップルなのである。落ち着きがなく、泣き虫な美容師と神経質でケチだけど料理の上手い弁護士が、それはそれはラブラブに生活する様が描かれる。

 タイトルからして分かるように、このマンガのテーマは料理である。よしながふみの料理好き、というか美食家ぶりはファンの間では有名なことである。以前にも『愛がなくても喰ってゆけます。』なんていうエッセイ風食い回りマンガを描いていた。それくらいに食の好きなマンガ家である。

 そのよしながふみの『昨日何食べた?』である。料理の描写にどれだけ執着するか、読まなくても分かるだろう。第一話は22ページあるのだが、そのうちの3ページが料理を作るためだけの描写なのである。それだけ読めば、料理ができてしまう。それくらい詳細に描かれている。

 さて、こうして書いてみると、単なる料理マンガのようにも思える。主役二人の設定が少し変わっているだけで、『クッキングパパ』や『中華一番』などと、そう大して変わらない。しかし、読んでみると、これが全く違う。

 料理マンガで最も有名な『美味しんぼ』を例にしてみると分かりやすい。『美味しんぼ』の主役は新聞社のサラリーマン・山岡と平の新人女子社員・栗田である。全社員の中で最も舌が優れていると社長に見込まれた二人が、無理難題を料理で解決する。

 例えば、何を食っても「美味い」と言ってくれないハゲ親父の接待がある。高級な料理は食い飽きているが、かといって粗末なものを食わせるわけにもいかない。そこで二人は白米と味噌汁、サンマという純日本食をちゃんと作る店に、ハゲ親父を連れて行く。そうすると、ハゲ親父も「懐かし味や」とかいって、感動する。

 『美味しんぼ』というマンガは、いつもこんな感じで進む。重要なことは、「日本食素晴らしい」とか「アン肝すげぇ」など、一話毎にテーマとなる料理が設定されている点である。これは『クッキングパパ』にしろ、『中華一番』にしろ、『美味しんぼ』にしろ、料理マンガの根底にある思想である。

 一方で、『きのう何食べた?』は料理の描写に異様なくらいページが費やされているにも関わらず、テーマとなる料理が一切ない。読んだ人はすぐに分かると思うが、このマンガにおける料理のページはほとんど何の意味もなしていない。

 さて、そこがよしながふみの怖いところである。彼女の近作『西洋骨董洋菓子店』では、BL描写がほぼ意味をなしていない設定だった。事情を知って読む人ほど、「ああ、よしながふみはBL畑だから、つい描いちゃうんだろうな」くらいに思っていた。ところが、その読者のBLに関する邪推は終盤で覆される。意味がないと思わせていたものにも、実はちゃんとした意味があったのだ。

 だから、この『きのう何食べた?』での料理描写は一見何の意味もないように思える。しかし、今後どうなるかは作者以外には分からない。よしながふみのマンガは、作者がよしながふみであるというだけで、期待を抱かせる。
09:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | マンガ | Page Top


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