
ここに、ある会社員がいる。青年というには難しい年頃なのだが、まだまだ中年でもない。昔の仲間や同級生たちは結婚し、幸せな家庭や子供を作っている。一方で、男は仕事はできるのだが、結婚どころか恋人もいない。自分の生活には不満もなく、はっきりとうらやましいわけでもないのだが、ほんの少し焦りや空しさを感じている。
この男の祖父が亡くなった。寿命を全うした、大往生である。ただ、この爺さん、ずいぶんと元気な人だったらしい。なんと爺さんには愛人がいたのである。婆さんの方は既に亡くなっていたので、ちゃっかり新たな恋人を作っていたらしいのだ。しかも、爺さんと愛人の間には一人の子供ができていた。それがりんという少女である。
愛人は行方をくらませており、幼いりんは母親の顔も覚えていない。爺さんが死んだ今、りんは一人残されてしまったわけである。爺さんの親族は遺産が減ってしまう、今更子供なんて育てたくない、施設がどうやらと右往左往する。唯一の肉親だった父を失った少女は、顔面をこわばらせ、心を閉ざしていく。それに気づいた男はりんを引き取ることを決意する。
これは『うさぎドロップ』第一話のあらすじである。
さて、これと設定がよく似ているのが『よつばと!』である。一応、『よつばと!』も解説しておこう。
『よつばと!』にも青年とも中年とも言えない男が出てくる。こちらは会社員ではなく翻訳家である。彼がどこだかの島に行った時、一人の子供を拾ってきた。それがよつばという少女である。『よつばと!』はこの二人が舞台となる町に引越してきたところから始まり、詳しい事情は一切明かされていない。
全ての子供がそうであり、我々がそうであったように、よつばは遊ぶことが大好きだ。ブランコが楽しくて、立った乗ってみる。セミを取りに行って、友達の頭に虫取り網を被せる。おつかいに行って、こっそりお菓子を買ってみたりもするのである。『よつばと!』とは、そういった些細な日常を描いたマンガである。
以上のように、『うさぎドロップ』と『よつばと!』は、独身男性が結婚しないままに少女を引き取って育てる、という設定が一致している。しかし、実際に読んでみると、設定が同じことになど気がつかない。これらの作品で前提とされている家族観はまるで違い、それによって物語の展開がかけ離れたものになっているのである。
まず、『うさぎドロップ』においては、家族になるということは非常に難しいことである。赤の他人同士が結婚して家族になるのだって難しい。それが大人と子供だったら、もっともっと難しくなるのは当然だろう。例えば、大人と子供ではただ話すだけでも難しい。子供が何を言いたいのか分からないこともあれば、話し方を間違えて怒っていると思われることもある。
だから、『うさぎドロップ』では、誰もがりんを引き取りたがらない。爺さんの隠し子であったりんが見つかった時、大人たちはりんを押し付け合い、さりげなく施設に押し込むよう話を進めていく。男がりんを引き取る際も、「子連れではますます結婚から遠くなる」と反対されるのである。この作品における子供とは、苦難の道である。
一方で、『よつばと!』の世界では、家族になるということに対して、何の障害もない。よつばと男はいとも簡単にコミュニケーションを取っているし、彼の友人たちはよつばを妹のように扱っている。お隣の家には三姉妹とその親である夫婦が住んでいる。この三姉妹がやはりよつばを妹のようにしているし、母親は娘のように接している。彼らはみな、ごく自然によつばを家族にしてしまえるのだ。
だから、『よつばと!』の世界は安穏としている。西洋の宗教画で描かれるような、牧歌的な世界である。よつばは誰からも優しく接されており、幸せな時間を過ごしている。一人で遊び歩いても危険が迫ることはなく、父の友人やお隣はよつばの大きな家族となっている。この世界における子供とは、幸福の象徴なのである。
どちらにリアリティがある、より面白いのはどちらだと書くつもりはない。同じく現実を舞台にし、状況も似たものであるのに、そこに描かれているものは全く違う。マンガとは味付け次第で、こうも変わるものなのか。この二作を読んでいると、このシンプルなことに気が付いて、驚く。
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