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■2007/12/31(月) マンガ終了の構造的問題 このエントリーを含むはてなブックマーク

 短編マンガと長編マンガでは、短編の方が評判が良い、ということがしばしばある。例えば、冨樫義博の作品では『幽遊白書』が有名ではあるが、マニアの間では『レベルE』の方が評判が良い。藤田和日郎は『うしおととら』や『からくりサーカス』といった長編の作品を描いていたが、作品全体を比べると『夜の歌』や『暁の歌』の方が面白い、という声もある。

 これは単純に短編の方が手に取りやすい、読みやすいということも理由にあると思われる。しかし、個人的感覚でいえば、実際に短編の方が完成度が高い場合も多い。では、なぜそうなるのか。グラフを使って考えてみよう。



 まず、読者の理想を考えてみよう。読者は一定量の情報によって一定量の楽しさが得られることを理想としている。具体的には、週刊マンガ雑誌であれば、一作品のページ数は最低18Pくらいである。一話目も二話目も、十話目も同じ18Pだったとしたら、読者としては全て同じくらいに楽しく感じられることを期待しているだろう。

 つまり、読者の理想は一定の係数を持った直線として描き出すことができる。



 ところが、現実はそうならない。例えば、同じページ数であり、背景やキャラが同じだけ描き込まれていたとしても、読者が受け取る情報は変わってくる。一話目では目にする何もかもが新しいものであり、情報の価値が高い。だが、二話目、十話目となってくると、同じ背景や同じキャラだったとしても慣れてしまっている分だけ相対的に価値が低い。

 具体的に言えば、初期の『ドラゴンボール』では悟空が痛めつけられるたびに、ハラハラした。負けてしまうのではないか、今度こそ死んでしまうのではないか。そういう思いをさせられる。しかし、単行本が十冊も越えると、何があったとしても悟空が負けることはない、と思えてしまう。例え、死んでも生き返れるし、と。

 情報による楽しさの増加率が逓減していくのだ。つまり、現実のマンガは右上がりの曲線として描ける。



 これらを一つのグラフの上に乗せてみる。

 Aの位置では、マンガ現実曲線が読者理想直線を上回っている。マンガ現実曲線から読者理想直線を引いた分が、読者の余剰利益となる。単純にいえば、Aの段階では読者の期待を上回る楽しさがある。

 Bの位置では、マンガ現実曲線と読者理想直線が等しくなっている。マンガ現実曲線に読者理想直線が追いついた形だ。読者の期待を上回るほどの面白さは既になくなっているが、ちょうど期待通りの面白さがある。

 Cの位置では、マンガ現実曲線を読者理想直線が上回ってしまっている。読者理想直線からマンガ現実曲線を引いた分だけ、読者は損害を受けている。ようするに、理想を下回っている分だけつまらなく感じてしまう。



 初期の段階で読者が得られる余剰利益の部分がXである。これは読者が期待していた以上に感じられた面白さのトータルである。逆に、Yの部分は、読者の期待を下回った、期待外れのトータルである。

 おそらく、読者がマンガを読むのをやめるのは、XとYが等しくなったポイントであろう。何故なら、予想外の楽しさと期待外れのつまらなさが等しくなった。読者が無意識のうちにそう判断した瞬間に、読者は読むのをやめる。

 短編マンガの場合、物語は一話、多くても二桁まで届かない話数で完結する。すると、三番目のグラフでいう、AやBの位置で物語を終えることができる。つまらなく感じてしまうCのポイントまでは行かないのだ。すると、読者は予想外の楽しさだけを感じて読み終えることができる。

 長編マンガの場合、物語が何話で終わるかというのは明確に定まっていない。この場合、多くのマンガ家と編集者が連載を終了させようと考えるのは、XとYが等しくなったポイントである。このポイントまでは読者が読みのをやめず、金を払ってくれると考えられるからだ。

 つまり、多くのマンガ家の場合、読者が満足するポイントで物語を止めるということは、構造的にありえないのだ。例外があるとすれば、マンガ家が生活に困らない場合。次回作でも同じだけ稼げる自信がある場合。極端なまでに芸術家肌である場合。この三つだけである。
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■2007/12/30(日) 『巨娘』マジックリアリズム編 このエントリーを含むはてなブックマーク

巨娘 1 (1) (アフタヌーンKC)

一昨日昨日に引き続く、『巨娘』第三の魅力はその世界観である。

 『巨娘』の世界は、一見すると現実を下敷きに展開しているように見える。主人公であるジョー(女性・男前)は焼き鳥屋チェーンの店長であり、毎日忙しく働き食い扶持を稼いでいる。ジョーの彼氏・美樹は少女と見間違うほどの容貌をしている。いかにもマンガらしい設定のキャラだが、生活するために会社で働いている。

 殴った勢いで人を4mも飛ばしてしまう、ヤクザ相手に中華包丁を振り回す。など、エピソードを取り上げてみると、いかにもマンガらしい無茶ばかりしているように思えるのだが、よく読めば『巨娘』の登場人物たちはとても現実らしい生活をしているのである。



 ところが、『巨娘』の世界では、主要なキャラクター以外のところにしばしば非現実的なものが登場してくる。その好例が上の人物ルー・大河内である。フキダシに書かれているように、彼はとある大手証券会社の課長である。

 マンガの登場人物として、カンガルーが出てくる。それも『パプワ君』のように、ギャグですらない。物語上、カンガルーである必要もない。ルー・大河内をバーコードのサラリーマンに差し替えても、何の支障もない。もちろん、夢落ちでもない。つまり、何の意味もないが、カンガルーなのである。

 そして、周囲の人物は誰一人として、ルー・大河内がカンガルーであることに言及しない。不思議に思うそぶりも見せない。カンガルーが課長として登場することが、ごくごく自然のことであるように振舞うのだ。まるで、シュールな夢のようである。

 こういった世界のことを、どこだかの文学者はマジックリアリズムと読んだらしい。詳しく知りたい方はwikipediaのマジックリアリズムの項を参照して欲しい。簡単に要約すれば、現実と非現実が混在する世界のあり方を指すらしい。イメージが湧かない人は、ダリの描いた「柔らかい時計」という絵を想像すると分かりやすい。

 ようするに、『巨娘』は虚実の織り交ぜられた世界であり、その意外性が面白さの一つとなっているのである。
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■2007/12/29(土) 『巨娘』キャラ編 このエントリーを含むはてなブックマーク

巨娘 1 (1) (アフタヌーンKC)

 昨日に引き続いて、『巨娘』について書いてみたい。昨日の内容をざっとおさらいすると、『巨娘』の主人公・ジョーさんは女性でありながら、とても男前な人である。大きな身長と人一倍の腕力や脚力という外見だけでなく、そのパワフルで力強い性格が男前なのだ。

 さて、今日は『巨娘』を属性で分類して考えてみようと思う。属性とは萌え系のオタク界隈で使われる用語のようなものであり、ビジュアルの特徴や性格のパターンに名前をつけたものである。例えば、眼鏡をかけたキャラクターは眼鏡属性、猫の耳がついたキャラは猫耳属性と言われる。

 『巨娘』の主人公は属性で分ければ、素直クール属性だと言える。素直クールとは双葉ちゃんねるのお絵描き板で生み出された属性で、ツンデレ属性の逆の特徴を持たせた性格である。双葉ちゃんねるの祭りが収束した辺りでVIPにスレッドが立てられ、一般に知られるようになった。

 ツンデレとは羞恥心やプライドから素直な行動が取れない性格パターンを表す。例えば、幼馴染の女の子がお弁当を作ってきてくれるとする。そこで、「あ、あんたのために作ってあげたわけじゃないんだからね!」と言い張るのがツンデレである。

 素直クールとは、そのツンデレの逆のパターンである。照れることなくクールに、自分の想いに従って素直に行動する性格である。上の状況を素直クール属性のメソッドにあてはめてみると、「大好きなおまえのために作った」となる。

 そして、ジョーさんの彼氏である美樹は属性からいえば、女装美少年である。身長が181cmもあるジョーさんに対し、美樹の身長は160cmもない。大柄なジョーさんと並ぶと、小人のように見える。美樹は身長が低いだけでなく、顔立ちも可愛らしい。ジョーさんとは、ちょうど男女が逆転したカップルなのだ。

 この美樹の妹の千鶴は非常な策略家である。目的のために着実に策を練り、実現させてしまう。ジョーさんの弟・リュー君は千鶴にベタ惚れ。自分からは行動してくれないリュー君に焦れて、千鶴は自分から彼にアプローチを重ねていく。ジョーさんは腕力で自由に生きていくが、千鶴は策略で自由を勝ち取っていく。

 また、ジョーさんの第一の部下・トオルはヤンデレの人である。大学の法学部に入学し、司法試験にまで合格した天才的頭脳を持っている。ファイトクラブでは並み居る男どもを叩きのめして、ナンバー2の地位を占める。頭も体も人並み以上のポテンシャルを秘めているのだが、残念ながら精神までもが並でない。中華包丁やラバーカップを振り回すのが大好きで、友人が小突かれただけで笑いながら犯人を殺そうとする危険人物なのである。

 このように、『巨娘』には素直クールに女装少年、策略家にヤンデレと属性が山ほど登場する。属性の宝庫なのである。

 『巨娘』マジックリアリズム編に続く。
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■2007/12/28(金) 『巨娘』・ローマイヤ編 このエントリーを含むはてなブックマーク

巨娘 1 (1) (アフタヌーンKC)

 『巨娘』が面白い。色々な意味で面白い。純粋にマンガとしても面白いし、演出の仕方やキャラ造形的にもすごく面白い。ごちゃごちゃゴチャゴチャ考えるのが好きな、俺のようなマンガオタクには一冊で二種も三種も楽しめる。お得な一冊である。

 俺が感じた楽しみの全てを一度に書くのは無理なので、何回かに分けてアップしていくことにする。今日は『巨娘』のストーリーの解説をした後で、主人公のジョーさんについて説明していく。

 まず、『巨娘』のお話。主人公は巨娘ことジョーさん。本名は分からないけど、他の人全員に「ジョー」もしくは「ジョーさん」と呼ばれている。なんで彼女が巨娘なのかといえば、身長が181cmもあるから。女性にしては大柄であり、和田アキ子をも越えるほどだからである。

 ただし、ジョーさんは単にでかいだけで巨娘と呼ばれているわけではない。だって、ジョーさんは背はメチャメチャ高いが横幅はそれほどでもない。体の大きさだけで考えれば、もっとでかい人はいくらもいそうな気がする。そう、ジョーさんが巨娘なのは、体の問題だけではないのだ。

 ジョーさんが巨娘たる由縁は、その豪快さである。店長を務める焼き鳥屋にヤクザが絡めば、力づくで叩き出す。ダメ人生を歩んできたダメフリーターの根性を叩き直す。可愛い少年(年上)と付き合えば、酔わせて押し倒す。

 しかし、豪快だからといって、ジョーさんは粗暴であったり横暴であったりする人でもない。仁義は通し、道理を聞く。信念は貫き通すが、部下や上司の言うこともちゃんと聞く。聞いた上で、説得なり論理で詰めて、やりたいことをやるのだ。

ハチミツとクローバー (1) (クイーンズコミックス―ヤングユー)

 このジョーさんのカリスマ性を見ていると、彼を思い出す。『ハチミツとクローバー』に出てくるローマイヤ先輩である。『ハチクロ』は美大学生の切ない恋模様を描いた、ちょくちょくコメディ要素も入っている、少女マンガである。映画化・アニメ化に続き、今度はドラマ化されるとのことだ。

 この『ハチクロ』に時たまローマイヤ先輩という男が登場する。芸術的な才能はずば抜けていながら、自分の好きなようにしか動かない森田。何でも小器用にこなすが、不器用な生き方しかできない真山。などなど、一癖も二癖もある性格の捻じ曲がった男たちが、ローマイヤ先輩にだけは心を開き、慕うのである。

 ジョーさんとローマイヤ先輩の共通点は、その溢れる漢気である。どんなことが起きたとしても、この人ならなんとかしてくれる。この二人には、そんな信頼感があるのだ。

 『巨娘』キャラ編に続く。
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■2007/12/27(木) 素直にマンガを紹介してみる企画1 『あいらぶ日和』 このエントリーを含むはてなブックマーク

 好きなマンガを素直に紹介してみよう企画。第一弾は12月26日に発売されたばかりの『あいらぶ日和』。IKKIに連載中のラブショートコメディです。僕の説明なんか読みたくないよって方は公式ページをご覧あれ。

あいらぶ日和 1 (1) (IKKI COMICS)
あいらぶ日和:アキタコウ


 登場人物は上の二人。コウヘイ君とあいちゃんです。コウヘイ君はあいちゃんが大好きで、あいちゃんはコウヘイ君が大好きなのです。同棲中の二人がラブラブに暮らす様子をコメディタッチで描いたのが『あいらぶ日和』というわけです。

あいらぶ日和 1 (1) (IKKI COMICS)
あいらぶ日和:アキタコウ


 例えば、これは二人が天の岩戸ごっこをしている時の様子。あいちゃんはホラーのマンガ家さんで、締切前は必死です。部屋に閉じこもりで、コウヘイ君に顔も見せない。そこで、コウヘイ君が部屋にそっと差し込んだのが、上の手紙です。

 「あい様。僕はあなたの姿が見れないだけで胸が苦しいのです。どうか姿を見せて下さい。」

 ストレートにもほどがある、直球ど真ん中の愛の告白です。お互いに愛し合っているのが分かっているからこそできる、遠慮のない愛の言葉です。こんな文章、付き合う前の人には決して出せるものじゃありません。この手紙にノせられたあいちゃん。手紙の出し合いっこをして、うっかりマンガをおろそかにしてしまいます。結局、二人で仲良く原稿を描くのでした。

 帯には「らぶらぶすぎて腹立つなぁ、もう」とあります。腹立たしいけど、うらやましい。こんな風に暮らしてみたい。好きな人と一緒なら、何をしても楽しいんだろうな。もっと、明るく楽しく生きていこうかな。そんな気持ちにさせてくれる。『あいらぶ日和』はそんなマンガです。
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■2007/12/26(水) 電脳世界の変化(『クリスクロス』と『ナツノクモ』) このエントリーを含むはてなブックマーク

 電脳世界に対するイメージがここ数年で変わった。気がする。知名度や作品の質から考えても、『マトリックス』と『電脳コイル』辺りを比較して考えるのが正解のようにも思える。ただ、時間の都合上、どちらも見ていないので、上記二作品の比較は別の方がやるのを待つ。俺が比較したいのは『クリスクロス』と『ナツノクモ』である。

クリス・クロス―混沌の魔王 (電撃文庫 (0152))

 『クリス・クロス』とは電撃小説大賞の第一回で金賞を受賞し、大賞を差し置いてハードカバーで出版された電撃文庫作品である。『クリスクロス』が後の電撃文庫作品に与えた影響は大きい。この作品がなければ、電撃は富士見ファンタジア文庫の劣化コピーになっていただろう。また、作者の高畑京一郎は確か今でも電撃小説大賞の審査員をしており、過去から現在、未来に至る電撃文庫の行く末を左右していると言える。

 『クリスクロス』は巨大なゲーム施設をテーマにした小説である。世界最高峰のコンピュータを作り出した天才的科学者が、そのデモンストレーションのために人間の精神をまるごと仮想世界に取り込めるシステムを作り上げる。カプセル型の筐体に収まった人間は、視覚や触覚を使った催眠誘導によってゲーム世界に入り込む。

 ゲームはファンタジーを模した仮想世界であり、数百人の参加者がチームを組み、魔王を倒すことが目的である。主人公・ゲイルはニヒルな盗賊キャラを演じており、姉御肌の女戦士や冷静沈着な騎士と仲間になり、地下のダンジョンに潜っていく。ところが、冒険も半ばに差し掛かった辺りで、ゲームの製作者を名乗る男が現れて……。

 特に注目すべき点は、主人公やその仲間は機械的手法によって、ゲーム世界に没入している、という設定である。人間の体がすっぽり納まるような筐体に入り、視覚や触覚に訴える手法で催眠状態に誘導する、ということは既に書いた。『クリスクロス』が発表された時期は、ゲームに本気で没頭するためにはそういった手法が必要だ、と作者にも読者にも認識されていたのである。

ナツノクモ 7 (7) (IKKI COMICS)

 さて、『ナツノクモ』の話をしよう。『ナツノクモ』は篠房六郎がIKKIに連載しているマンガである。これはMMORPGをテーマにしたマンガで、篠房六郎が以前アフタヌーンで連載していた『空談師』を丁寧に焼きなおした作品とも言える。

 この世界はアクション性の高い3Dゲームとして描かれており、プレイヤーの力量によってキャラクターの動きは全く違う。極端な話、レベル1でもスゴ腕が使えば最強であり、レベル100でも初心者なら弱い。『ナツノクモ』の主人公はゲーム内では伝説の人でありながら、現実ではゲームのやりすぎで家族を失ったアル中。ようするに、ダメ人間である。

 このマンガに出てくる人物は、ゲーム内ですごければすごいほど、ダメな人間である。ゲームの中でしか自分を誇示できないネカマやゲームという仮想世界の中で必死に正義を振りかざす人間。あまりにも好きであるがために、ネット内ストーキングを行ってしまう女性。挙句が、ゲームのやりすぎを注意され、逆ギレし、親を殺してしまった少年まで出てくる。

 『ナツノクモ』の世界で、プレイヤーがゲームをプレイするために必要なものは、ヘッドマウントディスプレイと手にはめる特殊なマウスだけである。そこには『クリスクロス』で書かれていた大きな筐体もなければ、電気的・機械的な装置もない。『ナツノクモ』の世界では、一般量販店でも買えてしまうような機材を自宅のパソコンに繋げるだけで、ゲームができてしまうのだ。

 『ナツノクモ』に登場する人物は機械的な手法を使わずに、自らの精神だけでゲームの世界に没頭するのである。ほんの少し鮮明な画像が目の前に表示され、他のユーザーの声が聞こえるだけで、ゲームに没入できてしまうのである。この異常とも思える、『クリスクロス』の時代にはなかった感覚が、今の時代には当然のように描かれているのである。

 我々が電脳世界に入り込むために必要なものは、機械的な手法だと思われていた。鮮明な画像や自然な音、触覚や嗅覚などの刺激などである。しかし、実際に電脳世界に入り込むために必要だったものは、我々自身の精神である。しかも、精神がそこに入り込むのは難しいことではなく、むしろ、危ういくらい簡単に電脳世界にシフトしてしまう。『ナツノクモ』を読むと、そう思えてくる。
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■2007/12/25(火) マンガにおける大声の表現(『ワンピース』) このエントリーを含むはてなブックマーク

ONE PIECE (巻48) (ジャンプコミックス)
ONE PIECE:尾田栄一郎


 上の画像を見て欲しい。これはジャンプ今週号(04・05合併号)の『ワンピース』の一コマである。左が死体を縫い合わせてゾンビの体を作ってしまうホグバック、右がゾンビのアブサロムである。彼らのボスであるゲッコー・モリアがルフィに倒されたために、ショックを受けている、というコマである。

 このコマを見て、何を思うだろうか? まず、アブサロムの台詞に「!!?」とついていることから、彼の驚きを見て取ることができる。これはマンガ表現というよりも国語表現の問題だ。いわゆる、ビックリマークというのは、その使用者の語気を強める働きを持っている。!が多いほどに、口調は激しい。

 しかし、このコマから読み取れるものは、それだけではない。アブサロムよりも注目すべき点は、左側に描かれているホグバックである。ホグバックがアブサロムよりも動揺していることを理解するには、彼の台詞に使われている!を見れば一目瞭然である。

 また、ホグバックの台詞の数はアブサロムの台詞よりも明らかに多い。これは現実世界にも言えることだが、怖がりな人間ほどお化け屋敷やホラー映画などで饒舌になる。思ったことを口に出すことで、不安を押さえようというわけだ。ホグバックにも同じことが起きているのだ、ということがすぐに読み取れる。

 さらに、ホグバックの頭の横には「ギャアアアア」という書き文字までついている。これは間違いなくホグバックの悲鳴である。アブサロムの声で悲鳴をあげてしまうほどに、ホグバックは動揺してしまっている。スリラーバーク編はナミやウソップの悲鳴で始まっているので、ホグバックの悲鳴は敵味方の逆転をも意味している。

 だが、しかし、このコマから読み取れるものはそれだけではない。このコマが伝えているものは、アブサロムの驚きでもなく、ホグバックの動揺でもない。このコマが真に伝えたいことは、ホグバックが動揺したことによって道化を演じている。そのおかしみなのである。

 そのおかしみとは何か? それはホグバックがアブサロムに倍する大声で「静かにしろォ!!!」と叫んでいることである。全く矛盾した言葉を堂々と叫ぶ。その姿がなんとも滑稽で、笑いを誘うのだ。このコマは、そのおかしさを表現するためだけのものである。

 では、なぜホグバックが大声で叫んでいると分かるのだろうか。俺にはそうと分かるし、これを読んだ全ての人は俺と同じおかしさを感じただろう。そして、作者である尾田栄一郎の頭の中でも、ホグバックは叫んでいるはずだ。だが、この大声という根拠は一体どこにあるのだろう?

 !が多いからだろうか。!は強い口調であると上に書いたし、一般的に口調は強くなればなるほど声量も大きくなる。だから、ホグバックは叫んでいる。そう断言していいのだろうか。確かに、!は強い口調を表すが、必ずしも大声であることを意味しない。声にならない声を表現する時に台詞抜きで!だけを用いることがあるように、!とは強い衝撃を意味するに過ぎない。大声であると言い切るほど確定した材料にはならない。

 ホグバックが叫んでいる、と我々が認識するのは、彼のフキダシが大きいからである。ホグバックのフキダシがアブサロムのフキダシよりも大きいからこそ、我々は「ホグバックが大声で叫んでいる」と認識するわけである。

 フキダシというものは、マンガにしかない。アニメにもなければ、小説にもない。マンガにのみ用いられる、独特の手法である。フキダシに対する我々の半ば反射的な理解は、おそらく幼い頃からマンガに慣れ親しんだ末のものだ。そういった経験があった結果として、我々は無意識のうちに、フキダシの大きさが声量を表すことを当然のものと認識しているのである。
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■2007/12/24(月) エロ同人パターン(『ひぐらし』と『ナデシコ』) このエントリーを含むはてなブックマーク

 エロパロ同人誌におけるエロマンガメソッドというものがある。このメソッドにも幾つかの種類があるのだが、大まかには二種に分類できる。一つは、原作に登場する人物同士がセックスに発展するパターン。もう一つは、原作にはいない人物が登場し、セックスに至るパターンである。

 原作に登場する人物同士がセックスに至るパターンは、一般に原作に忠実であるとされている。実際に原作に忠実であるか否かは疑問に思える部分もあるが、これは作者と読者の両方が共通に抱いている認識である。

 セックスする人物が双方ともに原作キャラであるためか、二人が愛し合う結末になることが多い。また、陵辱や調教などハードなものはイメージを崩しやすいためか、コメディやギャグで落とすパターンも多い。

 原作にいない人物が登場するパターンは、原作キャラしか出ないものよりもハードルが高いと認識されている。原作のイメージを壊さないままに、原作キャラの中に一人もしくは複数のオリジナルキャラを加えるからである。

 こちらはコメディやギャグで落とすパターンよりも、陵辱や調教などハードなものになりやすい。オリジナルキャラを加えた上で笑いを取るのは難しいということもある。それに、多少原作とキャラが異なってしまっても許されるゆえ、調教などがやりやすいのであろう。

 さて、これらのメソッドだが、原作の展開によってどちらのメソッドが多用されているか決まるらしい。少なくとも、何百冊とエロ同人を読んでいると、なんとなくそんな気がするのである。

 原作キャラしか登場しないパターンは、原作がゲームである場合が多い。『月姫』や『fate』などのTYPEMOON作品や竜騎士07の『ひぐらしのなく頃に』、上海アリス幻樂団の『東方』シリーズなどで、部外者の登場するエロ同人は滅多にお目にかからない。

 これらの作品はキャラクター小説的というべきか、キャラクターに依る要素が強い。そこに新規のオリジナルキャラを違和感なく投入することは難しいためかもしれない。そのため、キャラのイメージを崩しやすいハードなエロ同人も少ない。

 逆に、原作にない人物が登場するエロ同人が多い作品もある。例えば、『機動戦艦ナデシコ』がそうである。もちろん、原作を忠実に再現した上で、セックスに至る作品もある。これはたいていがアキトとルリの純愛パターンである。

 しかし、なぜだか分からないが、俺の知る限りでは、見ず知らずのキャラが登場し、ルリを陵辱するパターンのエロ同人はやたらと多い。もしかしたら、原作の『ナデシコ』のキャラの性格が回によって異なっているなど、設定が定まっていない部分があったからかもしれない。

 こうして二種を比較して考えてみると、原作の製作に関わっている人数が少ないほど原作に忠実なエロ同人が生まれやすい。そして、原作の製作に関わっている人数が多いほどにオリジナルキャラによるハードなエロ同人も増えるのではないか、と思える。
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■2007/12/23(日) 叫ぶ生き物(『マリオギャラクシー』と『のだめカンタービレ』) このエントリーを含むはてなブックマーク

スーパーマリオギャラクシー

 姉(26歳・童顔・東洋系美人)と『マリオギャラクシー』をやっていたのである。横には母(52歳・太り気味・天然パーマ)と義兄(27歳・童顔・青ひげ)が座っていた。俺はヌンチャクでマリオを上下左右に走らせ、姉はリモコンでマリオを回したり跳ばしたりしていた。

 マリオは跳んだり、走ったり、攻撃を受ける度に、「オウ!」とか「アウチ!」とか叫ぶ。ゲームを起動した時は、「スゥーペームァリオギャラクスィー」と叫んでいた。何をするにもとにかく、叫ぶ。叫ぶだけが人生の暑苦しい男。それがマリオである。

のだめカンタービレ (1)

 こいつを操って遊んで、気が付いた。このヒゲ男はのだめじゃなかろうか。のだめというのは、KISSという雑誌に絶賛連載中の『のだめカンタービレ』のヒロイン兼主人公である。天才的なピアノの才能を持ち、一度聞けば大体弾けるという分かりやすい能力の持ち主である。

 のだめはまるで女ではない。少なくとも、少女マンガのヒロインとしてはありえないくらい、女性度が低い。まず、部屋が汚い。ゴミ溜めか豚の小屋、といった体である。豚は意外と綺麗好きというから、実際には豚の小屋より汚いであろう。

 しかも、好きな男のシャツの臭いを嗅ぎ、タバコの吸殻を集め、盗撮写真でハアハアする。いわゆる、変態であり、ストーカーである。相手の男に何をどう言われようともめげず、押しに押し。ついには、そのピアノの才能によって惚れさせてしまう、という才能以外は犯罪者という女である。

 こののだめが、やはり叫ぶのである。感極まると、「がぼー!」とか「ぎゃばー!」と叫ぶ。感極まるというのは、好きな男に抱きしめられたり、罵られたりする時である。いや、感極まらない時でも叫ぶ。何かアクションを起こす度に、のだめは叫ぶ。その様は、まさにマリオの如しである。

 ところで、俺の姉もよく叫ぶ。「がばー!」とか「ぬあー!」とよく叫んでいる。『マリオギャラクシー』をプレイしていた時は、マリオと一緒に叫んでいた。「ぐわっ!」と言いながらジャンプし、ダメージを喰らって「うおっ!」と叫んでいた。マリオ−のだめ−姉は叫ぶ生き物である。
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■2007/12/22(土) 時代小説と武侠(『リアルバウトハイスクール』と『IX』) このエントリーを含むはてなブックマーク

リアルバウトハイスクール 15―召喚教師 (15) (富士見ファンタジア文庫 66-23)

 久しぶりに『リアルバウトハイスクール』を読み返した。『リアルバウトハイスクール』は富士見ファンタジア文庫から出版されているライトノベルで、本編が十五冊、番外編が七冊あるので、合計すると二十二冊にもなる。ライトノベルの中でも比較的長めで、『フルメタル・パニック』と並んで富士見ファンタジア文庫の中期を支えた作品である。

 この作品を説明するのが、かなり難しい。笑いあり涙あり血沸き肉踊る格闘ありのエンターテイメント、を地で行く小説だ。最初から最後まで一字一句面白く、中だるみもない。買って損しない、買わなきゃ損する。二十二冊もありながら、設定の矛盾一つない。シリーズ全体の完成度が高い、非の打ち所のない作品なのだ。

 その一方で、そこに描かれている要素はメチャクチャ多い。『リアルバウトハイスクール』というタイトルで分かるように舞台の一つは大門高校という学校である。ここでは学校側公認のケンカ・Kファイトが行われている。高校の教師は謎の気功術・神威の拳の達人で、たった一人でヤクザの組を壊滅させたり、国外から刺客が送り込まれる。はては、異世界の魔女から召喚されて、怪獣退治までやっているのである。その他、路上での野試合・ストリートファイトに明け暮れる男子生徒や宇宙からの侵略者と戦う女子高生まで登場する。これらの要素が全て、無理なく一つに集約しているのだから、すごい。

 この『リアルバウトハイスクール』の作者・雑賀礼史が熱く主張する言葉に「小説はどれだけ面白くてもいい」というものがある。これは雑賀礼史のデビュー作『龍炎使いの牙』に書かれている言葉だ。どうやら、雑賀礼史が隆慶一郎という時代小説家の『鬼麿斬人剣』を読んだ結果、抱いた感想らしい。

 隆慶一郎に対する尊敬の念を考えた上で、『リアルバウトハイスクール』を読むと、また印象が変わる。『リアルバウトハイスクール』は一見すると荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』の影響が色濃いのだが、よく読めばそこには隆慶一郎から受け継がれたキャラ造形や時代小説の影響もまた見られるのだ。『リアルバウトハイスクール』は昨今のマンガと共に長年の伝統を持つ時代小説の手法をも取り入れた作品なのである。

IX(ノウェム) (電撃文庫)

 マンガやライトノベルなどのオタク的な影響だけでなく、他から影響を受けた作品は他にもある。古橋秀之『IX』がそうだ。『IX』のあとがきを見ると、これは金庸という中国の小説家に影響を受けた作品らしい。金庸の小説は武侠と呼ばれるもので、武術の達人が義理や人情のために諸国を旅し、悪を正す。鳥山明も金庸に影響を受けており、初期の『ドラゴンボール』を想像すると分かりやすい。

 『IX』は中華風の架空の世界を舞台にした、武侠小説である。片腕だけがまるで鬼のような様相をした、少年・九郎が主人公である。その不気味さゆえに親に捨てられた九郎は、ある傭兵集団に拾われる。傭兵らはある国の生き残りであり、国の姫を守るために傭兵をしているのである。九郎と男装の姫が他国の追っ手と対決する、というのが大まかなあらすじである。ちなみに、金庸のヒロインはなぜかみな男装なのである。

 隆慶一郎の時代小説はキャラクターの一人が主人公としてはっきり決まっている。一方で、金庸の武侠小説は多数の登場人物が入り乱れ、主人公ははっきりとは定まっていない場合もある。ただし、どちらも表現の手法が確立しており、軸のぶれない、安定した面白さがある。だからこそ、それらにヒントを得たライトノベルは面白いのではないか。
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■2007/12/21(金) ケレンミの種類(『ハチワンダイバー』と浦沢直樹) このエントリーを含むはてなブックマーク

ハチワンダイバー 5 (5) (ヤングジャンプコミックス)

 『ハチワンダイバー』五巻を読んだ。相変わらず、面白い。メチャクチャ進みが遅く、はったりしかない。そのケレンミが素晴らしいのだ。ストーリーなんて五冊あってもまるで進んでおらず、キャラクターも叫んでいるだけ。ケレンミだけが作品を支えており、東西随一のケレンミが面白すぎるのである。

 世の中には将棋を指すことで生活を立てる人間がいる。プロ棋士である。このプロ棋士に憧れ、将棋一本の人生を送ってきた男が、ついに年齢制限に引っ掛かってプロ入りを諦めるところから『ハチワンダイバー』は始まる。

 生きるための何の取り得もない主人公。何故なら、勉強も運動も全くやらず、ただひたすら将棋ばかり指してきたからである。そこで、彼は町の将棋集会所で賭け将棋をして生きる、真剣師になることを決意する。

 しかし、そこはただひたすらに勝ちを求めてきた男には辛い場所だった。賭けをするからには、相手がノらなければいけない。「自分でも勝てそうだ」。そう思うからこそ、相手は金を賭ける。そのためには、そこそこ勝ち、そこそこ負ける。わざと負ける必要が出てくる。

 砂を噛むような思いで真剣師の将棋を指し、精神をボロボロにした男はチラシでもらったお部屋掃除の出張メイドに電話してみる。すると、現れたメイドさんはなんと集会所で真剣師をしていた、地味でぽっちゃり系の女性だったのだ。そして、その日から男の目標は、彼女を将棋で負かすことになる。

 『ハチワンダイバー』はコマ数がメチャクチャ少ない。五巻の冒頭39話は19ページある。その中でコマは53しかない。平均すると、2.78なので、1ページにだいたい3コマしかないのである。ちょうど手元にある『絶対可憐チルドレン』11巻を計測してみる。19ページで68コマあるので、平均3.57。1ページにつき4コマはある計算になる。しかも、この回は見開き表紙が入っているので、実際にはもっと多くなるだろう。

 普通のマンガに比べて、明らかに少ないコマ数で、ガンガン進んで行く。書き込み度合いにもよるが、コマが大きければ大きいほど、説得力やインパクトが増す。だから、『ハチワンダイバー』の迫力は自然とものすごいことになる。『ハチワンダイバー』はインパクトケレンミのマンガなのである。

 緻密なケレンミを使うマンガも、世の中にはある。例えば、最近の浦沢直樹作品はみなそうだ。『Monster』や『20世紀少年』、『PLUTO』はケレンミだけで最後まで押し切った作品群である。これらの作品は多大な伏線が張り巡らされ、ストーリーも複雑である。キャラクターについての詳細な設定があり、細かな仕草までよく描き込まれている。

 しかし、最初から最後まで通して読むことで、それだけ大きな楽しみが得られるか。というと、そんなことはない。これらの作品の共通点は最初から最終回一歩手前までは異様なほど面白いのに、最終回だけは理解不能になる。そこである。逆にいえば、終わるまではとことん面白い。それが最近の浦沢直樹なのである。

 『ハチワンダイバー』と浦沢直樹は、毛色は違っているものの、ケレンミしかないという点では同じである。ケレンミの強いマンガとは、読む前や読んだ後よりも、読んでいる瞬間が面白いマンガだ、ということなのだ。そして、マンガに一番重要なのは読むことが楽しいということである。
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■2007/12/20(木) 中二病と童貞マインド(『少年少女漂流記』と『眠れる惑星』) このエントリーを含むはてなブックマーク

 中二病という言葉がある。中学二年生くらい・思春期の少年少女が、若気の至りで恥ずかしい行動をしてしまうことを指す。恥ずかしい行動とは、自分には超能力があると確信したり、ヒットマンに狙われたり、前世では英雄だと宣言したりすることである。中二病ネタで一番有名なのは邪気眼だろう。

少年少女漂流記

 中二病マンガは数多くあるが、「中二病をテーマにした」と公言したマンガは俺の知る限り一つしかない。それは古屋兎丸と乙一の合作『少年少女漂流記』である。これは連作短編なのだが、出てくる登場人物がみんな変。ようするに、中二病なのである。

 例えば、「水没しちゃえばいいのに」とずうっと念じていると、町が本当に水没しちゃう。しかも、自分の好きなものだけが水の上を流れてくるのである。他にも、黒いタイルだけを踏んでいけたら、頭の悪い自分でもクラスメイトが相手をしてくれる、と信じる少年とか。

 ようするに、中二病とは自分に都合の良い妄想を信じ込んじゃう状態である。その妄想は好きなマンガやアニメが混ざったようなものであったり、自分自身が考え出したオリジナリティ溢れるものだったりする。が、結局は妄想に過ぎないわけで、他人から見ると精神病的に見えてしまう、という。

 ほんで、この中二病と重なる部分があるけれども、しかし、ちょっと違うと思うのが童貞マインドである。童貞マインドとは、童貞の男がことあるごとにえっちな妄想を抱くことである。例えば、目があっただけで好きになる。会話するだけで、相手が自分を好きだと思う。脳内でクラスメイトを裸にしてみる、などである。

眠れる惑星 1 (1)

 この童貞マインドを素晴らしいくらいに消化させた作品として、陽気卑の『眠れる惑星』がある。何が童貞マインドって、その設定である。この世界では、なんでか知らないが、突如として地球上のあらゆる生物が眠ってしまう。その中で、眠らずに済んだ少年がただ一人だけ。

 中学生の彼は学校からも家からも自由になり、気ままに過ごす。そして、あるファミレスで眠り込んでいるお姉さんを見かけて、ムラムラっと襲ってしまうのだ。ところが、彼がセックスを終えるやいなや、お姉さんは目覚めてしまう。そう、彼はセックスすることによって、眠った人を起こすことができる。セックスによって人類を救う、ヒーローになってしまうわけである。

 アホか、と思うかもしれない。女性だとホントに意味が分からんかもしれないが、男にとってこれくらいの妄想は日常茶飯事である。特に、中学生くらいの男子が授業中に考えていることの八割はこんなもんである。残りの二割は飯だ。

 中二病も童貞マインドも、なんだかいろいろ妄想する、というところで共通している。ただ、中二病は自分自身について鬱々と考える一方で、童貞マインドは女体について悶々と考える。内か外か、という言い方もできるな。
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■2007/12/19(水) ダンスィと犬少年(『ナルト』と『ネギま』) このエントリーを含むはてなブックマーク

 少年っていうとさ、普通は「ふざけんな、バーカ」とか「ブース」とか言う。「女なんか仲間に入れてやんねえよ」とか。木の棒拾ってきて、コンクリの壁をガリガリやったり。あと、「うんこ」とか「ちんこ」とか下ネタが大好きな感じじゃん?

 マンガとかに出てくるのも、少年というと基本ツンデレじゃん。「おめえのことなんか知るかよ」とか「グズグズするなよ」とか言いながら、結局は手伝ってあげたりすんじゃん。バトルものだと、修行とかは絶対に人目につかないようにやる。「なんもしてねえよ」とか言いながら、裏でものすごい努力してるとか。

NARUTO (巻ノ1)

 例えば、『ナルト』の主人公・ナルトな。あいつもサクラちゃんに「好きだ好きだ」言ったり、修行の成果を堂々と自慢したりする。そういう点では結構素直だけど、基本ツンデレじゃん。サスケのことをズタボロにこき下ろしたりするわりには、必至こいて助けようとすんじゃん。

 でも、なんか最近は、そういうツンデレ系の少年じゃない。ものすごく素直で努力家で守ってあげたくなるような、可愛い少年も結構目に付くような気がすんのよ。「女だろ」とか言わなくて、下ネタ聞くのを恥ずかしがっちゃうような。そういう少年タイプが。

魔法先生ネギま! (1)

 『ネギま』のネギとかは、もろそういうタイプ。先輩の先生や魔法使いにメチャクチャ礼儀正しいし、教え子にも親切丁寧に接してる。責任感も強くて、その上素直じゃん。なんか、よう分からんけど、エヴァジュリンにも躊躇なく頭下げてるし、真面目に修行したりしてんじゃん。

 最初の少年らしい少年キャラをさ、俺はダンスィと名付けたい。これは2chの育児板の用語でさ。いかにも、少年らしい馬鹿行動をする少年をそう呼ぶわけよ。詳しくは育児板拾い読み@2ch ダンスィ&じょすぃを見ればいいよ。

 でさ、後者の可愛らしい少年。従順で素直な少年を、犬少年と名付けたい。ちょっと前までは、犬みたいな性格とか猫みたいとか言ってたじゃん。あれに習ってみた。犬少年が生まれたのは、少年マンガの文脈でも「少年を愛玩する」っていう流れが出てきたからだよな。昔は少年誌なんて少年が読むものだから、可愛い少年出しても仕方なかった。最近は俺みたいなおっさんや女の子も読むから、可愛い少年を愛でるっていうのもアリになってきたんだろうな。
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■2007/12/18(火) 生命の冒涜(『MUDDY』と『エンバーミング』) このエントリーを含むはてなブックマーク

 ジャンプの新連載『MUDDY』読みました。主人公は「昔天才、今凡人」を絵に描いたようなダメ科学者クレイ。合成動物・キメラを作り出して会社に貢献、偉大な人物の仲間入りを果たそうと試みてはいたものの、いつも失敗ばかり。ついには、会社を首になってしまいます。

 ショックで落ち込んだクレイでしたが、運良く廃棄された研究施設を発見します。そこでヤケになってメチャクチャに実験を繰り返した結果、誰も見たことのないような人型キメラを作り出してしまいます。クレイは人型キメラにマディという名前をつけて、一緒に暮らしていきます。

 平穏な生活を送る二人でしたが、キメラ好きの金持ちに目をつけられてしまいます。最初は「幾らだったら譲ってくれるんだ?」というお約束の言葉で始まり、断られると「力づくで奪ってやる」とテンプレ通りの行動。そして、土を食べれば食べるだけ巨大化する、というマディの特殊能力に恐れをなして、逃げ出します。

 絵はやや荒れた部分はありますが、丁寧に書き込まれています。画風は少年マンガのそれというよりも、高野文子さんのようなアート系の少女マンガのものに似ている気がします。ストーリーの展開も過不足なく、主人公クレイが悪党の誘惑を即座にはねつける姿も好感が持てます。

 ただ、エピソードそのものがベタなものであり、とても素直な仕上がりになっています。人物造形も主人公クレイの毅然とした態度やマディの無邪気な愛らしさ。悪党の金持ち親子すら、悪感情が湧き辛い構成になっています。

 完成度はとても高く、美しいマンガではあると思うのですが、少年ジャンプで今後どうやって展開を進めていくのか全く予想がつきません。カラーイラストや読み切り掲載時のエピソードを考えると、おそらく世界中を旅する展開になると思われるのですが、イメージ上しっくりきません。

 ところで、冒頭で書いたように、『MUDDY』の世界では科学者がキメラを作り出し、それを一般人が家畜やペットとして飼うことが常識となっているようです。例えば、クレイの同僚は小型のドラゴンを作り出し、商品化してもらいます。また、農家では牛とも羊ともつかない生き物が飼われているようです。

 この手の物語を読むと、反射的に「生命の冒涜」のようなものを連想するのです。全ての生き物を作り出したのは神様です。西洋でも東洋でも、そういうことになっています。神様を本気で信じている人は少ないのですが、だからといって人間が生き物を作り出すことに抵抗を持たない人は少ないのです。

 例えば、ジャンプSQで連載されている和月先生の『エンバーミング』。フランケンシュタインに家族を殺された主人公は、十数年間を復讐のために生きていきます。そして、復讐を果たすべきフランケンシュタインに返り討ちにあい、共に復讐を誓った親友をフランケンシュタインにされてしまうのです。

 この世界の根底には、生き物の生命を自由に操り、合成することに対して、強い嫌悪感があります。そうでなければ、親友がフランケンシュタインにされたところで、誰も何も感じないはずだからです。作者の和月先生は、当然この嫌悪感を前提のものとして描いているはずですし、読者としても前提に違和感を覚えたりはしていないように思います。

 この感覚が『MUDDY』には全くないのです。この点が新しいといえば新しく、少年マンガらしいといえば少年マンガらしい部分と言えます。ただ、もし読者の多くが「生命の冒涜」のなさに違和感を覚えたら、致命的な欠陥となってしまうことも考えられます。はてさて、どうなることでしょう。
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■2007/12/17(月) ライトノベル界の『こち亀』(『スレイヤーズ すぺしゃる』) このエントリーを含むはてなブックマーク

 比喩というものがある。多彩な技を繰り出す相撲取りを「技のデパート」と称したり、国内外の利権と癒着していたと噂される政治家を「疑惑の総合商社」と呼ぶ。そういったものである。そこで、ライトノベル界の大御所『スレイヤーズ』を比喩で表すとしたら、それは「ライトノベルの『こち亀』」だと思うのである。

こちら葛飾区亀有公園前派出所 1 早うち両さんの巻 (1) (ジャンプコミックス)  →  こちら葛飾区亀有公園前派出所 157巻 おさるの電車物語の巻 (157) (ジャンプコミックス)

 『こち亀』とは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の略称である。破天荒な中年の警察官・両津勘吉が様々なことにチャレンジしては失敗する、というドタバタコメディである。稀に、人情物の思い出話も描かれる。

 この作品の何がすごいかといえば、1976年から2008年が近づく現在まで、一度も休まず週刊ジャンプの連載を続けている点である。三十年間も週刊誌で連載を続けるのは、作画的にもネタ的にも不可能に近い。

 しかも、『こち亀』はつまらない回が一度もない。もちろん、週によって当たりや外れはある。「今週はすごいな」や「今週はちょっと」というばらつきは確かにあるのだが、全体として見たクオリティはほとんど変わっていない。数年ぶりにジャンプを開いても、『こち亀』だけは変わらずに面白いのだ。

白魔術都市(セイルーン)の王子  →  魔法の老女プリンシア (富士見ファンタジア文庫 20-55 スレイヤーズすぺしゃる 29)

 で、『スレイヤーズ』は神坂一が書く、ライトノベル作品である。ドラゴンもまたいでとおるほど凶暴な「ドラまた」の美少女リナが相棒の剣士ガウリィと旅をする。合成人間のゼルガディスや魔法の国の王女アメリアなどを仲間に加え、世界の危機を救うのである。

 このシリアスな本編シリーズは第一巻のラストで魔王を撃破する。それだけ強大な力を持ってしまったキャラが主人公であれば、それ以降の物語はパワーバランスが破綻してしまいそうに思える。が、実際は見事にバランスを保ち、十五巻にて終了した。

 『スレイヤーズ』は本編とは別に、月刊誌ドラゴンマガジンに連載された『スレイヤーズ すぺしゃる』というシリーズがある。主人公は「ドラまた」のリナと白蛇のナーガ。ナーガは魔法のセンスや才能は抜群だが、その性格が破綻している。今風にいえば、行動力抜群のあほのこである。

 この『スレイヤーズ すぺしゃる』は第一巻が1991年に発行されており、今もなお連載中である。単行本は二十九巻にまで達している。ライトノベル系の雑誌の中では古株のドラゴンマガジンで十六年間も連載を続けているのである。これは尋常なことではない。

 しかも、『こち亀』と同じく、『スレイヤーズ すぺしゃる』も質が落ちるということがない。当たり外れはあっても、絶対確実に面白いのである。どこの店で食べても、カレーは美味い。なぜなら、カレーを不味く作るのは逆に難しいからだ。それと同じで、『こち亀』も『スレイヤーズ すぺしゃる』も確実に面白い。既に、両作はカレーのレベルに達している。
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■2007/12/16(日) 永遠に未成熟な (『観用少女』と『絶対可憐チルドレン』と『苺ましまろ』) このエントリーを含むはてなブックマーク

観用少女【完全版】(1) (コミック愛蔵版)
観用少女【完全版】:川原由美子


 『観用少女』はプランツ・ドールという人形をテーマにした連作短編集である。プランツ・ドールとは愛らしい少女の姿をした人形の名前だ。次々に登場する主人公たちは、恋人の代わりに、子供の友達に、一種のペットとして、様々な理由によってプランツ・ドールを手に入れる。そして、その愛らしさにある人は幸福になり、ある人は不幸になる。

 少し話は逸れるが、漫画における時間の描写は大きく二つに分けられる。それは時間が進むものと進まないものである。そして、この時間が進むか進まないかということは、その作品が何を表現したいのかということに、密接に結びつくものである。

絶対可憐チルドレン 1 (1)

 まず、時間の進む例を挙げると、『絶対可憐チルドレン』がある。『観用少女』と同じく、この作品にも愛らしい三人の少女が登場する。彼女たちは強力な超能力を持っており、未来において世界を救う天使か、世界を滅ぼす悪魔のどちらかになることが分かっている。主人公である青年は、彼女たちを天使にするべく奮闘するのだ。

 この作品には明確な未来が設定されており、それは時間が進むことを前提に物語が作られていることを意味している。主人公の青年は少女たちの愛らしさの背後に、少女たちが未来に備える美しさを見る。つまり、ここでの少女の愛らしさは少女が未来に持つ愛らしさの延長線上に位置付けられるものであり、それは年齢に関わらない女性そのものの愛らしさに還元できるものである。

苺ましまろ 1 (1) (電撃コミックス)

 次に、時間の進まない例では、『苺ましまろ』がある。この漫画は四人の少女と彼女たちより少しだけ大きな一人の少女を主役にしたコメディである。そこでは「お祭りに行く」「外に遊びに行く」といったストーリー性が多少でもあるものから、ただひたすらに小ネタを続けるストーリー性が皆無のものまであるが、そのどちらも主眼は少女たちの愛らしさを表現することにのみ向けられている。

 この作品では春や夏、クリスマスや節分といった季節を描写することはあっても、少女たちが歳を取るということは決してない。ここでは、時間とは瞬間的なものであり、一つの話が終わる毎にリセットされるのである。作者が時間を進ませないのは少女たちを成長させないためである。成長しない、永遠の少女がこの作品における愛らしさであり、それは女性そのものには還元されない類のものなのである。

 さて、『観用少女』で描かれる時間とは進むものだろうか、それとも進まないものだろうか。時間が進まない例で書いたように、時間が進まない作品とは正確には時間が戻る作品のことを指す。連作短編である『観用少女』では同一のキャラクターが登場することはない。であるから、この作品は時間の進むものであると言える。

 では、そこで描かれる少女の愛らしさとは女性そのものに還元できるものだろうか。『観用少女』では、誤った育て方をしたプランツ・ドールが大人になってしまう、という設定がある。これは少女の成長に対する明確な否定である。この作品における少女の愛らしさとは、永遠の少女のことなのである。

 それは時間の進む世界における未発達の女性でもなく、時間の進まない世界の変化しない少女でもない。時間が進む世界でありながら、決して成長しない。周囲の時間が幾ら進んでも、決して自分自身は成長しない。それが『観用少女』であり、プランツ・ドールである。
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■2007/12/15(土) 『セクシーボイスアンドロボ』 このエントリーを含むはてなブックマーク

セクシーボイスアンドロボ1 (BIC COMICS IKKI)

 『セクシーボイスアンドロボ』はとても面白い漫画である。しかし、この漫画が持つ面白さを言葉で説明するのはとても難しい。セクシーボイスを自称する女子中学生が、テレクラで引っ掛けた男性・ロボを引き連れ、事件に挑む痛快活劇。これが今作の大まかなストーリーである。しかし、ストーリーを理解したところで、この作品の面白さを理解することは全くできない。精神科医が「戦闘美少女はオタクの教養だ」と語るほどに、少女の活躍する作品はありふれたものだからだ。

 さて、多くの優れた作品がそうであるように、それが優れた作品であればあるほど、その作品を語るのは難しくなる。この漫画は面白いものなのだと読者に意識させることなく、さりげなく引き込むこそ、優れた作品の条件なのだ。だから、この文章の結論は「読めば分かる」に決まっている。あらかじめ、この前提を理解した上で、この作品がいかに優れているかを説明してみよう。

 この作品の特徴の一つは、その直線のなさである。キャラクターは言葉を交わし、その文字は写植であるため直線を持っている。この文字の直線を除けば、この作品には極端なほどに直線がない。例えば、キャラクターの顔や服装、木や草花が曲線で構成されることは不自然でない。自然が作り出したもので直線を持つものはそうない。しかし、この作品では鉄橋や看板、ビルの外壁などの人間が作り出したものにも直線が使われることは滅多にない。数少ない直線は見ようによってはかろうじて直線に見える程度のものであり、定規やモノサシで採寸すれば、そこにズレを見つけることができるはずだ。

 この直線のなさが作品に与える影響は大きい。読者が背景とキャラクターを見分ける手段の一つは、そこに直線が使われているか否かであろう。そこに直線が多様された絵は背景であり、その多くが曲線で構成されたものはキャラクターである。例えば、背景や直線で描かれたモノを読者に意識させようという演出意図がある場合、具体的な背景は消え去り、集中線や点描などが使われることが多い。

 このことを考えると、背景とキャラクターの双方が曲線で描かれる漫画とは、その主体が極めてあいまいであるということに等しい。読者は背景とキャラクターを見分ける術を失い、その両方に同じだけの意識を集中することになる。そのことだけを取り出せば、この背景とキャラクターが一体化するという作風は欠点にしかなりえない。この作品が一般的な漫画に比べて文字が多いのは、読者が霧散させられた集中を文字に集めるためなのかもしれないとすら思う。

 ところで、この背景とキャラクターの一体化とは絵柄の統一という見方をすることもできる。先に書いたように、一般的な漫画においては背景とキャラクターの絵柄は意図的に書き換えられ、その不調和によって読者の集中はコントロールされる。この手法は背景とキャラクターの乖離を前提にしたものなのだ。ほとんどの漫画はキャラクターやストーリーは違うものの、背景の質そのものはさして変わらない。それは背景とキャラクターの不一致が前提とされるため、背景に手を加える必要がないからだ。

 この背景とキャラクターの不統一という手法は読者の利便性を高める一方、世界観の不徹底さにも繋がる。奇抜・奇怪なキャラクターであっても、純愛や革命のストーリーであっても、その背景の質そのものは変わらないのである。これは監督や脚本、俳優の違うにも関わらず、道具や演出が常に変わらない映画のようなものである。この奇妙な変化のなさがある。

 逆に、今作品は読者の利便性を下げながらも、世界観の統一が見事に果たされている。この漫画の背景はキャラクターが見た空間であり、キャラクターが感じた世界なのである。一般的な作品において読者は漫画世界という箱庭を上から覗き見る客でしかなかったが、この作品においてはキャラクターの視点で眺める登場人物の一人になることができるのだ。
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■2007/12/14(金) 四コママンガの自由度(『シスコなふたり』) このエントリーを含むはてなブックマーク

 四コママンガの自由度の高さは、エロマンガに匹敵するものがある。自由度といっても、その内容は様々だ。青年誌で連載中の『シグルイ』では首が切り落とされても、内臓がデロリとはみ出しても、規制はかからない。少年誌の『ハンター×ハンター』では、切断された首がモザイクや黒線で隠される。例えば、そういった表現の自由度という高さも考えられる。

 ただ、ここで俺が主張する四コママンガの自由度は表現に関するものではない。題材についてのものだ。ストーリーの成り行きについて、と言ってもいい。他のマンガでは考えられないような設定や展開、終わりを迎えるものが多々ある。

シスコなふたり 1 (1) (アクションコミックス)

 例えば、『シスコなふたり』がそうだ。売れない写真家でライター仕事もやっている主人公が、取材で雑貨屋を訪れる。快活な店員に一目惚れした彼は、彼女に果敢にアタックする。付き合い始めると、じょじょに彼女はお姉ちゃん大好きな超シスコンであることに気付いていく。彼女のシスコンを治し、自分だけを見てもらおうと奮闘するのだが、気が付くと彼は姉の方にも魅力を感じてしまっている。

 少年誌や青年誌、少女マンガ誌でも、上のような設定であれば一般的に三角関係のドロヌマが展開されていく。コーラを飲むとげっぷが出るくらい、当たり前のセオリーである。何故ならば、世間で共有される倫理観に基づいて話を進めようとすれば、男と姉妹の三人が無理なく絡める展開はそれ以外にないからである。

 しかし、四コママンガでは違う。このセオリーが通じない。『シスコなふたり』では、なんと姉妹が二人とも彼女になる、というハーレム状態にたどり着くのである。好きなものは二人で共有してきたから、彼氏も共有というのである。男は姉妹二人に魅力を感じているし、姉も妹も男に恋するようになっている。この心の動きがごく自然なことであるように描かれる。そう、ようするに、公式姉妹丼なわけだ。

 『シスコなふたり』に限らず、四コママンガは倫理観にとらわれない作品が妙に多い。突飛な展開を、さも当然のことのように描いてしまうのである。しかも、それらはしばしば現実を反映したノンフィクションの作品であったりもする。それを考えると、物語よりも現実の方が倫理観にとらわれていないのではないか、と感じることもある。
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■2007/12/13(木) 週刊現代デビュー このエントリーを含むはてなブックマーク

 僕、書店でバイトしてるんですよ。駅前にある大きめの本屋。そこで、レジ打ちしたり、品出ししたり、返品したりしてるんですね。で、うちの本屋はよそとは品揃えが違っていて、『もやしもん』を一年以上に渡って平積みしてたり、高野文子が全巻揃ってたりするんですよ。そういう店なもんですから、よその書店では売れないものが、なぜかうちではバカ売れだったりするんです。

 まあまあ、そういうこともありまして、うちのコミック担当は一部で有名なようでして。このたび週刊現代でマンガの特集が組まれることになったそうなんですけど、うちのボスにもお声がかかったんですよ。「三十代から五十代くらいの男性が喜びそうなマンガ、ベスト5を送ってくれ」と。で、まあ、その下っ端である僕も巻き込まれたわけです。

少女ファイト 1 (1) (イブニングKCDX)

 まず、上司陣が外せない一冊として選んだのが『少女ファイト』。バレーボールの技術的な才能はあるんだけど、勝負事の才能はない女の子が主人公のスポ根ものですね。作者である日本橋ヨヲコさんの作品は、どれも台詞が熱いんですよね。気力に満ち溢れたみつを、珍しくギャグじゃないマンガを描いてみた島本和彦って感じなんです。

大東京トイボックス 1 (1) (バーズコミックス)

 『少女ファイト』と作風が被ってるので選べなかった作品として、『大東京トイボックス』があります。実を言えば、僕は『少女ファイト』より『大東京トイボックス』の方が好きです。ゲーム一筋で生きてきた職人気質のプログラマと四角四面なエリート女子社員が、対立し合いながらもじょじょに仲を深めていく。これが前作『東京トイボックス』のストーリーです。今作『大東京トイボックス』はゲーム大好きでゲーム業界に飛び込んできた新人が、その熱意で会社を振り回す展開になっています。未熟な新人が情熱でもって暴れまわるのがいいんですよね。

竹光侍 1 (1) (ビッグコミックススペシャル)

 で、上司陣が選んだもう一冊が『竹光侍』です。今回ベスト5の作品名とコメントを送れと言われてたんですけど、『竹光侍』はありがたいことにうちのコメントが採用されておりました。僕は読んでいないのですけど、上司に言わせると「筆で描かれた世界がとにかく綺麗」なんだそうです。また、「長屋の子供が健気でかわい」くて、「不細工な猫まで愛らしく見える」とも。

ヴィンランド・サガ 1 (1)

 他に上司陣がオススメした作品が『ヴィンランドサガ』です。『プラネテス』の作者が描く、北欧の争いを描いたマンガです。これまた僕は読んでいないのですが、そろそろ赤いチャンチャンコを着るくらいの上司に言わせると「主人公の少年が成長していくのが良い」とのこと。「ああいうのは将来良い男になる」んだそうです。

イムリ 1巻 (BEAM COMIX)

 上司及び僕の統一見解では、今年一番の傑作は『イムリ』です。三宅乱丈の作品は外れなしです。貧乏寺の坊主が仏教専門学校を開く『ぶっせん』は素晴らしい出来のコメディですし、新撰組の組員が突如として女性化する『秘密の新選組』も何故か笑えます。他人の心に侵入して、意のままに操る術を持つ青年たちがヤクザ的組織の中で必死に生きる『ペット 1』のように、シリアスなマンガも絶品なんですよね。

 『イムリ』は上下関係の厳しい階層社会が舞台になっています。この世界ではエリートだけが魔法を使うことができて、呪文を唱えることで他人を奴隷にしてしまえるんですね。貴族たちは悠々自適に暮らす一方で、平民は貧しい生活を強いられているのです。主人公は貴族のボンボンなんですが、なぜか運命によって革命軍のリーダーと思われてしまっています。一見ファンタジーなんですけど、星間航行などSFの要素もあるので、そういう点でもオタクにはたまらない設定です。

やっぱり心の旅だよ

 で、最後に「三十代から五十代の男性」を意識して選んだのが、『やっぱり心の旅だよ』。これは人によって好みがはっきり分かれる作品ですね。短編集なんですけど、前半に収録されているのは狙いすぎて痛々しいシュールギャグです。はっきりいってマンガとしての面白みはないに等しいんですけど、その痛々しさがすごいんですよ。ヘタクソな絵で、普通に考えたらやめておくだろうネタを描いてしまう。その痛々しさといったらないですよ。

 エロマンガ雑誌を買うと、出会い系のマンガが必ず載ってるじゃないですか。「登録したら、こんなに簡単に淫乱人妻・えっち大好き女子高生と出会えちゃいました、セックスしちゃいました」ってヤツ。後半部分は作者が以来されて描いた出会い系マンガが収録されてるんです。これが、また、中学生が授業中に考えていたことをそのままマンガにしたような、分かりやすいエロマンガなんですよね。出会って三秒で股開きます、みたいな。これが、また、童貞マインドをくすぐるような感じで、いいんですよ。

 まとめると、『やっぱり心の旅だよ』はすごいダメなマンガなんです。けど、そのダメさが素晴らしいんです。
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■2007/12/12(水) 究極のツンデレと至高のツンデレ(『WORKING!!』と『百年の孤独』) このエントリーを含むはてなブックマーク

 今日は俺が個人的に考えている、究極のツンデレと至高のツンデレについて書いてみたい。究極のツンデレとは、激しすぎるツンと可愛すぎるデレを持ったキャラである。そして、至高のツンデレとはツンばかりが目に付き、デレが一見すると全く見当たらないキャラのことである。

WORKING!! 1 (1)

 まず、俺が究極のツンデレに推したいのが『WORKING!!』に登場する伊波である。このマンガは北海道を舞台にした、ファミレス四コマだ。主人公は小さくて可愛いものが大好きなロリコン気味の青年・小鳥遊。小学生にしか見えない女子高生や腰に刀をぶら下げるチーフなど、いかにも四コマらしい突飛なキャラクターが登場する、ラブコメだ。

 このマンガに新キャラクターとして登場し、一躍人気をかっさらったのが伊波である。まず、彼女はとんでもない暴力女である。大の男性恐怖症で、近寄る男はみな殴る。伊波の意思に関わらず、自動的に拳が飛んでいくのだ。しかも、本人には自覚はないが、そのパンチ力はとんでもない。ちょっと殴っただけで、コンクリの壁にヒビを入れるのである。

 では、伊波が可愛げのない娘なのかというと、決してそんなことはない。自動的に暴力をふるう鬼神のような人ではあるけれど、その中身は純情な乙女なのである。趣味は恋愛小説を読むことだったり、好きな人に誉められただけで腰が抜けてしまったりするのである。

 この過剰に暴力的なツンと溢れるデレは、まさに究極のツンデレである。

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))

 そして、俺が至高のツンデレに推したいのが『百年の孤独』のキャラクター、アマランタである。『百年の孤独』はマコンドという街が、生まれてから滅びるまでの百年間を描いた海外小説である。『ブリーチ』における空座町が現実にある架空の町であるように、マコンドもコロンビアの南の方にある架空の街である。ただし、そこに現実として描かれる世界は歪んでいる。

 例えば、マコンドには年に一度ジプシーが訪れ、外の世界の不思議な知識や道具を置いていく。錬金術の秘宝や街中の金属を吸い付ける磁石、溶けることなく運ばれた巨大な氷の塊などである。また、天使のように純粋無垢な少女が空の彼方にさらわれていったり、森の中に巨大な船が発見されたりもする。舞台は現実でありながら、奇怪な世界でもある。

 アマランタは街を建造したリーダー、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの娘である。彼女は生涯で三人の男と激しい恋愛を経験したが、その誰一人として結婚することもなく、身を許すこともなかった。そして、自身は処女のままに、家族や友人の子供の世話をして死んでいく。

 アマランタがモテなかったのではない。タイミングが悪かったり、偶然に結婚できなかったわけでもない。そして、アマランタは誰をも愛していなかったわけでもないのだ。アマランタは男たちを愛し、男たちもアマランタを愛したが、彼女の性格ゆえに全てが破綻したのだ。

 一番分かりやすい例が、最初の恋人であるピエトロ・クレスピというイタリア人との恋愛である。当初ピエトロ・クレスピはアマランタの姉レベーカと恋仲であった。彼は恋心を打ち明けるアマランタに対して、「弟でよければ紹介する」とあしらっている。

 ところが、このレベーカがくわせものであった。レベーカは義理の兄であるホセ・アルカディオに再開すると、あっさりと義兄に心を傾ける。即座にピエトロ・クレスピとの婚約を解消し、ホセ・アルカディオの家に転がり込む。あまつさえ、街中に響き渡る声でセックスに興じるのである。

 当然ピエトロ・クレスピは人生に絶望し、食事をしたり眠ることさえままならなくなる。何しろ、付き合い始めてから何年間も結婚を焦らされ、その間はセックスなどもせず、清い交際だったのだ。それがポッと出の男に奪われ、しかも、喘ぎ声まで無理矢理に聞かされる。拷問としか言いようがない。

 ここに至って、ようやくピエトロ・クレスピも長い間自分を想い続けてくれたアマランタの愛情に目を向ける。自分の見る目のなさを後悔しながら、ピエトロ・クレスピはアマランタに愛の告白をする。ここまで、よくある感じの良い話である。いかにも、ハッピーエンドに終わりそうだ。

 しかし、ピエトロ・クレスピの求婚はアマランタによって、あっさりと断られる。最初は「急いでも良いことはないから、お互いの気持ちを確かめましょう」という言葉だった。それから数ヶ月後、堪えられなくなったピエトロ・クレスピは再び求婚する。それに対するアマランタの言葉がすごい。

 まず、「死んでもあなたと結婚なんかしないわよ」。そして、「ほんとうに愛しているのだったら、二度とこの家には来ないでちょうだい」である。まるで前フリもなく、突然の拒絶である。ピエトロ・クレスピには予想のしようがなく、彼を知る友人やアマランタの家族でさえ驚いた。直接記述はされていないが、この言葉を口にしたアマランタでさえ、驚いたであろう。

 ピエトロ・クレスピは再び人生に絶望する。愛する人に二度も裏切られているのだ。一度目はセックスしか脳のないろくでもない男に奪われ、二度目は確たる理由は全くないのに嫌われる。ピエトロ・クレスピはついに首を吊り、自殺する。

 アマランタは同じパターンで、後々二人の男をもフッている。お互いに愛し合っていながら、突如として相手を拒絶するのである。不思議なことに、フる理由については全くもって記述されていない。ただ、アマランタがフッたことを後悔している様子だけが描かれる。

 アマランタにはツンしかなく、一見するとデレが全くないように見える。想像を働かせることによってのみ、デレが浮かび上がってくる。これが至高のツンデレである。
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■2007/12/11(火) エロマンガ10 このエントリーを含むはてなブックマーク

 今日はコアに行こう エロマンガ10 - 酔拳の王 だんげの方に便乗して、エロマンガを十冊紹介してみます。集計用も兼ねて、先にラインナップだけしてしまいます。

さめだ小判,BEASTIE GIRLS,ワニマガジン社
鬼束直,ワンホットミニット,茜新社
ひぢりれい,UK,茜新社
佐々原憂樹,遠い日の欠片,コアマガジン
EB110SS,ハードロック,茜新社
裏次郎,ひよこのたまご,茜新社
スミヤ,ロマレダ,茜新社
猫玄,ツンデレさん,茜新社
月吉ヒロキ,夏虫,茜新社
らする,Stripe Cats,松文館

BEASTIE GIRLS (WANI MAGAZINE COMICS SPECIAL)

 まず、一冊目は、さめだ小判先生の『BEASTIE GIRLS』です。これは、誰にでもオススメできる、超お買い得の安心商品です。まず、さめだ小判先生は、絵がキレイすぎるんですよ。イラストだけでも十分にエロい。仮に話が全くなかったとしても、それだけで色々とできちゃう。それくらいに絵の上手い方です。

 では、お話は平凡で面白みがないかというと、そんなことも決してないわけで。例えば、俺は「じぇみに☆ちぇんじ」という話がすごく好きなんですね。これは双子の姉弟が、互いの格好をして、告白を断りに行くっていう話です。「はずかシーナちゃん」という作品では、調教されてる女の子が、それをネタに友達に脅迫されてしまいます。

 エロマンガの単行本というのは、結構同じ傾向の話が続くものなんですよ。鬼畜だったら鬼畜、ほのぼのだったらほのぼの、と最初から最後まで変わらないんですね。でも、『BEASTIE GIRLS』の場合、最初から最後まで同じトーンの話が一つもない。一冊で二度も三度も美味しい単行本なんです。

ワン ホット ミニット (TENMA COMICS LO)

 二冊目も誰にでもオススメできる、鉄板の作品。鬼束直先生の『ワンホットミニット』です。丸みを帯びた可愛らしい絵柄で、愛し合う二人がラブラブにえっちするのです。鬼畜や輪姦などの作品は、人によって楽しめたり楽しめなかったりします。その点、鬼束直先生の作品は和姦ばかりなんで、安心です。特に、ロリ好きな人にはオススメですね。

 特に好きなのが、単行本を開いてすぐの「愛だけじゃ生きていけないの」というお話です。秋物新作ファッションのために、お兄ちゃんに体を触らせる知花ちゃん。計画通りお金を手に入れるはずだったのに、暴走したお兄ちゃんに押し倒されてしまいます。

 これ、うっかりすると、悲惨な感じなんですけど、鬼束直先生が描くとそこはかとないラブラブ感が漂うんですよね。鬼束直先生の作品は、強烈にラブラブってことはないんですけど、全体的にどの作品も生ぬるい感じがあるんです。ぬるま湯の心地よさみたいな安心感があって、誰でも楽しく読めると思います。

UK(アンモラルキッズ)

 三冊目は、ひぢりれい先生の『UK-UNMORAL KIDs』です。商業誌では石川マサキという名前でお仕事をされてる方で、かなり描き込まれるタイプの絵柄です。人物の描写が肉感的で、なおかつファンタジーを失っていないところが素敵です。ただ、やや救われないストーリーが多いので、和姦好きの人にはきついかもしれないです。

 表題作の「UK」はハーマイオニーにそっくりの女の子が主人公です。前編では気弱で眼鏡な美少年を散々に責めまくって、セルフフェラまでさせちゃいます。中編では、担任教師を調教して、女王様を気分を満喫するんです。そして、後編では……。

 ひぢりれい先生の描く性器は、リアル指向なんですよ。リアル指向っていうのは本物より本物ぽく描いているという意味です。例えば、彼の描くちんこは必ず血管が浮き出ているんです。でも、キャラクターの顔は描き込みはすごいんですけど、二次元の可愛さを失ってない。上の例でいえば、ハーマイオニーならハーマイオニーの可愛さがそのままあるんです。リアルなちんこと可愛らしいハーマイオニーが微妙にアンバランスで、そこがエロいんです。

遠い日の欠片

 可愛らしい少女の登場するエロマンガといえば、佐々原憂樹先生の『遠い日の欠片』です。こちらの作品は、大人の男が勝気な少女に振り回されるというのが仕様です。一冊目の単行本ということで、初期の作品から最近のものまで色々と混ざってます。最近のものになるにつれ、男が少女にメロメロになってきていて、ラブラブな感じです。

 「コワガリ×ツヨガリ」はかなえちゃんがお兄ちゃんを挑発して、えっちしちゃう話です。これ、えっちのシーンもいいんですけど、そこに至るまでの女の子の描写がすごくいいんですよね。かなえちゃんはお兄ちゃんを挑発してえっちに持ち込む前、緊張してコワガって見せるんです。でも、いざお兄ちゃんを挑発する段になると、堂々とツヨガって見せるんです。このギャップが、ものすごく可愛いんですよね。

 佐々原憂樹先生のキャラクターはみんな表情が豊かで、怖がったり強がったり、コロコロと変わります。ツンデレというのとはちょっと違って、ストレートに愛情を表現するんですけど、みんな、とても強気なんですよね。この強気な少女が、泣き顔や得意げな表情をすると、それが可愛くて可愛くて仕方ないわけなんです。

HARD LOCK (TENMA COMICS LO)

 ロリが続いているので、ロリ系でオススメの作品を挙げると、EB110SS先生の『ハードロック』があります。EB110SS先生の作品は、バカな大人と純粋な幼女がラブラブにえっちする、というロリコンにとって天国のような仕様なんです。ただ、出てくるのは少女というよりも幼女という区分に入るくらいの設定なので、ロリコンに興味のない人にはつまらないかもしれないです。

 「プチ妻さおりん」はロリコン男が幼女とオママゴトをしているうちに、結婚→引越し→子作りまで進んでしまうというストーリー。幼女の穴を広げるためにキュウリを入れるとか、お風呂場で明日の情事を期待して一人えっちとか、全体的にバカバカしい感じです。しかも、これが何故か痛々しくはないのですよ。

 EB110SS先生のポリシーが和姦だそうなのですが、出てくるキャラクターがみんな幸せそうなんですよね。普通はエロマンガって淫靡で後ろめたい感じがあるんですが、ことEB110SS先生に関しては、ただひたすらにラブラブでおバカに進むんです。『タイムボカン』を見ているような、妙な安心感があるんですよね。

ひよこのたまご (TENMAコミックス LO)

 さて、究極のロリマンガといえば、裏次郎先生の『ひよこのたまご』です。これはエロマンガにしては珍しく、長編ものなんですよね。このマンガは職なしニートの兄ちゃんが妹に手を出して、実家を追い出されます。この妹が訛りと気の強い幼女で、兄ちゃんを実家に連れ戻すために子作りしましょ、となるんです。

 この発想の飛躍がすごいですよね。正々堂々と実家に帰るために、兄と妹で子供を作りましょう、ですよ。常人には、時間が一周しても出てこない発想です。しかも、そういう異常な事柄をさも天然自然のように描いてしまい、ラブラブなカップルに見せてしまうところが裏次郎先生のすごいところです。

 しかも、この幼女がとてつもなく可愛い。上に書いたように、この娘はメチャクチャに訛りが強いんですよ。一人称がおらですよ。今時、どこの孫悟空だって話です。それに、この娘はやたらと積極的で、寝ても覚めても子作りしか考えない。膣内以外に出すと怒り出すんですから、ここまで来ると狂気ですよね。だが、それがいいわけなんですが。

Romareda TENMA COMICS LO

 訛りで思い出したのですが、言語萌えのエロマンガというのもあるんですよね。例えば、スミヤ先生『ロマレダ』の「ケアステ」がそうです。これはデンマークから日本に越してきた少女と男子高校生のお話です。

 まず、主人公が友人たちに背中を押されて、少女の前に転がるように出てくるわけです。最初は「好きです」と日本語で。それを聞いた少女が「それって、デンマーク語のあれの意味だよね」と焦る。そこですかさず、主人公が「ヤイ・エルスカ・ダイ」とかデンマーク語で言っちゃうわけです。

 この言語は違っても、想いを伝える、みたいな感じがすごく良いんですよね。なんでしょうね。僕なんか、日本人と日本語で喋っても会話が成り立たないわけで、それに比べて「ケアステ」の世界は素晴らしいくらい青春なんですよ。初々しくて、必死で、愛らしい。思春期の戸惑いみたいなものがはっきりと描かれていて、仮にエロなかったとしても十分に成立しちゃうくらい面白いんですよ。

ツンデレさん (TENMAコミックス)

 ロリコン→ロリコン→ロリコン→ロリコン→幼女と無言ロリコンコンボが続いているので、お次はロリコンぽい少女の話。猫玄先生の『ツンデレさん』です。この、ツンデレさん、外見はどう考えても小学生にしか見えないんですが、実はれっきとして女子高生。ちっちゃい女の子はいいよね、という完全なる俺仕様なわけです。

 主人公はツンデレさんに付きまとわれる男子高校生。彼が女の子に告白した日には、ツンデレさんのドロップキックが炸裂するわけです。ツンデレさんはどこまでもクールで、好きだ好きだと言うわりには全くもって甘えてきたりもしないのです。そんなところから、主人公は彼女をツンデレさんと呼ぶわけなんですが、実は彼女は属性的には素直クールだったというオチがきます。

 素直クールって、そもそも、メチャクチャ強力な属性だと思うんですよね。だって、真顔で好きとか言われてみたいじゃないですか。恥じらいっていうのはそれだけでエロいものなんですけど、真顔で恥じらう乙女なんて最高なわけじゃないですか。そういう男の夢が『ツンデレさん』にはあるんですよね。

夏蟲 (TENMA COMICS LO)

 この恥じらいが最も発揮されるのが、調教系の作品です。そして、調教といったら月吉ヒロキ先生の『夏蟲』です。この単行本の前半に収録されている「夏虫」のシリーズが素晴らしい。電車内での調教ものなんだけど、ここで調教される少女が素晴らしく可愛いのです。

 この娘は決して抵抗しないわけじゃないのです。胸を触られたら「いや」というし、ケツを揉まれて「やめてください」ともいう。ただし、それが周囲の人間にはおろか、触っている相手にもほとんど聞こえないくらいの声量なのです。無抵抗ではないのだけど、抵抗もできていないという無力感。この無力感から来る、恥と絶望の表情がムチャクチャエロいのですよ。

 しかも、電車内で毎日毎日いじられていくうちに、女の子がじょじょに調教を待ち望むようになってしまう。この過程がしっかりと描いてあるのです。調教ものの最大の見せ場は、この堕ちていく瞬間なんですよね。これを逃すことなく描いてくれる月吉ヒロキ先生は天才としか言いようがないです。

Stripe Cats (別冊エースファイブコミックス)

 最後に、個人的にエロマンガの中で最高の作家だと思っている、らする先生の『Stripe Cats』を紹介します。らする先生の描く少女の可愛さは異常です。無駄に雄弁な俺でさえ、何が良いのか言語化できない。それくらいに素晴らしいのです。俺はらする先生の作品なら、あらゆるものを全肯定する自信があります。

 らする先生の作品は、女の子が積極的で勝気です。なんていうか、ヒロインがすごく強いんですよね。この強さというのは強気という意味では必ずしもなくて、精神的に芯が一本通っている。そういう感じの強さなんです。

 しかも、女の子たちは強いだけじゃなくて、やっぱり乙女なんです。男の妄想と言われてしまえばそれまでなんですけど、ちょっとした瞬間に甘えてくる女の子ってやっぱり可愛いんですよね。いや、もう、無理です。何をどう書いたららする先生の素晴らしさが伝わるのか全く分かりません。
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■2007/12/10(月) 男女の持つファンタジーの違い(『バカとテストと召喚獣』) このエントリーを含むはてなブックマーク

バカとテストと召喚獣 (ファミ通文庫)

 男はみんなスケベである。すべからく、例外なく、スケベである。友人と猥談しかしない男も、外見をクールに見せかけている男も、間違いなくスケベ。それは友人とエロい話をするのが楽しいか、自分だけの妄想の世界に浸りたいか。それくらいの違いしかない。いうなれば、見た目で分かるのはただのスケベ。見た目では分からないのが訓練されたスケベなのである。

 『バカとテストと召喚獣』には、このストレートにスケベなヤツと押し隠してスケベなヤツが両方登場するのである。ストレートにスケベなのが主人公である吉井明久であり、押し隠すスケベが土屋康太である。(実際には、明久の方が隠している感じがあるし、土屋の方がストレートな気もするが、設定は上のようになっている)。特に土屋は自身のスケベ心を必死になって隠すため、ムッツリーニの二つ名を与えられるほどである。

 ムッツリーニほど極端な例はそうそういないが、現実にも結構この手の男は多い。普段は押し黙っていたり、女の子と平常に話せない。運動も勉強もそこそこできるが、保健体育だけは妙に気合が入る。クラスに一人は、こういう男がいるものである。何を隠そう、俺もそうであった。

 このことに関して、男性と女性では見解が違うように思える。男性作家と女性作家では、クールなキャラの描き方が微妙に違っているのだ。男性作家の描くクールキャラとは、ムッツリスケベのことである。『幽遊白書』の蔵馬や飛影、『ナルト』のサスケなど、全員ムッツリスケベである。表面上にそれを出すことに抵抗があるというだけで、欲は持っている。

 女性作家の描くクールなキャラには、この欲というものが描かれていない。もしくは、その欲が微妙にズレて描かれている。例えば、『リボーン』には雲雀という風紀委員が登場する。彼は力で高校の風紀を守ろうとするため、問答無用で武器を振るうような男である。彼は自身の欲を全く持っていないように、俺には見える。そして、あまりにも過度にクールでありすぎる、とも。

 不思議なことだが、男社会の中ではムッツリスケベは人気がある。スケベ心を持っているということが、一種の免罪符になるところがある。どんな男でも一皮剥けばスケベという共通の認識があり、それによって許される部分がある。つまり、クールに見える男でも、スケベ心が見え隠れするだけで、その行動が認められるのだ。『バカとテストと召喚獣』のムッツリーニのようなキャラが強烈に肯定されているのを見ると、俺はそこに男社会の内情を感じる。

 逆にいえば、全くスケベ心の見えない男というのは、男社会では受け入れられない。仮に、スケベ心の見えない男がクールで打ち解けなければ、その行動は許されない。その行動が正当だろうと、力が強かろうと、おそらくすぐに排除される。だから、クールすぎる男性キャラを見ると、俺はそこに女性特有のファンタジーを感じる。
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