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■2008/01/31(木) 帯紹介・哲学編 このエントリーを含むはてなブックマーク

 そういうわけで、前回は「帯紹介・勢い編」でしたんで、今回は「帯紹介・哲学編」でございます。

not simple (IKKIコミックス)
not simple:オノナツメ


 「本当に感じたいのは、もっと近くの人のぬくもりなのに」

 『not simple』から。タイトルが示す通り、このマンガはシンプルではありません。ひどく複雑です。母親に嫌われ、父親に無視された男の、生まれてから死ぬまでを順序良く、淡々と描いていった作品です。物語の構成も、未来や過去、イギリスとアメリカを行き来するなど、やはり単純ではありません。このキャッチは作品の複雑さをよく表しています。

片恋の日記少女 (花とゆめCOMICS)
片恋の日記少女:中村明日美子


 「探しても見つけ難いのに 恋とは突然訪れるのです」

 『方恋の日記少女』から。中村明日美子さんの短編集です。帯には上のように書かれていますが、この短編集で、主人公が突然恋に落ちる話は一つもないんですよね。でも、なんとなくこの言葉には共感できてしまいません?

GUNSLINGER GIRL 1 (1) (電撃コミックス)
GUNSLINGER GIRL:相田裕


 「少女に与えられたのは、大きな銃と小さな幸せ。」

 『ガンスリンガーガール』から。強盗に家族を殺され、両手両足を切り落とされた。そんな悲惨な境遇にいるような少女の身体に機械を繋いで、薬物を投入して、殺人人形にする。大きな銃で暗殺を実行し、ほんのささやかな幸せを手に入れる。そんな悲しい設定が、帯に表われてますね。

この世界の片隅に 上 (1) (アクションコミックス)
この世界の片隅に:こうの史代


 「すずの小さな 新しい世界が始まる。」

 『この世界の片隅に』上巻から。戦争の悲しさを描いた『夕凪の街 桜の国』で有名になったこうの史代の作品です。こちらは戦争前から戦後までを描いた作品ですが、悲惨な場面はありません。幼いすずが兄や妹と遊んだり、嫁ぎ先でゆるやかに生きていく様子が描かれています。主人公すずの前には、まさに小さくて、新しい世界が広がっているのです。

StandByMe(TENMAコミックスLO) (TENMAコミックス)
StandByMe:東山翔


 「少女は暖かい。あなたのそばで待っているから。」

 『Stand By Me』から。お察しの通り、LOのエロマンガです。LOの帯はどれもこれも力作で、キャッチも素晴らしいんですよね。上のコピーも、言葉の意味はまるで分かりません。分かりませんけど、なんかロリコン魂にぐっと来るものがあるんです。

 さて、二回に渡った帯特集でした。意外に好評だったようなので、2月の最終にもやってみましょう。ではでは。
23:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 帯紹介 | Page Top


■2008/01/30(水) 帯の紹介・勢い編 このエントリーを含むはてなブックマーク

 今月買ったマンガが、合計で50冊くらいあるんですね。正確には分からないんですけど、たぶん、50前後だと思うんですよ。そんで、間に挟まってたチラシは捨ててるんですけど、帯だけは面白いのを残してたんですね。というわけで、今日と明日、二回に分けて、面白かった帯紹介をやりたいと思います。

 というわけで、今日は勢いのあるキャッチコピーの帯を紹介してきます。

GA-芸術科アートデザインクラス 2 (2) (まんがタイムKRコミックス)
GA-芸術科アートデザインクラス:きゆづきさとこ


 「止まらない毎日、止まらない彼女。」

 『GA-芸術科アートデザインクラス』の2巻から。『GA』は美術専門の高校を舞台にした、女の子四人の四コママンガです。いわゆる萌え系ってヤツなんですけど、美術に使う道具の解説をしたり、色彩の話をやったり、と濃い内容になっております。

巨娘 1 (1) (アフタヌーンKC)
巨娘:木村紺


 「何もかもデカイ。」

 『巨娘』から。主人公のジョーさんは器も身長も、おっぱいも心も、何もかもがデカイ娘さんです。そんなジョーさんを主人公にして、時に新人教育をし、時にヤクザと戦い、時にセックスしたりと、色々する。そんなマンガです。

モンスターキネマトグラフ (リュウコミックス)
モンスターキネマトグラフ:坂木原レム


 「うち…コーフンすると怪獣に…(恥)」

 『モンスターキネマトグラフ』から。興奮すると怪獣に変身してしまう妙齢の女性が主人公。戦争中は兵器として使われ、戦後は厄介だけど有益な実験動物として扱われる。彼女に「いややわ。うち、ふつうのおばちゃんやもん」なんてささやかれたら、男だったら落ちるはず。

わがまま戦隊ブルームハート!(1)
わがまま戦隊ブルームハート!:石田敦子


 「女の子ですもの、許しません!!」

 『わがまま戦隊ブルームハート』1巻から。謎の博士から借りた道具で、大の男でも投げ飛ばせるパワーと魔法を使える五人の少女。彼女たちの目的は、ご町内の平和だけを守ること。「女の子ですもの」と言われても困るけど、うっかり納得しちゃう不思議な魔力があります。

PARTY 2 (2) (イブニングKC)
PARTY:内田早紀×阿部秀司


 「メガネっ子、世にはばかる!」

 『PARTY』2巻から。世界一の大企業の一族が、ある日全員テロで殺されてしまった。一族に仕える執事がクモの糸ほどか細い縁をたどった結果、ごく貧生活をしていたメガネっ子を見つけ出す。湯水の如く金を使う世界に突然放り込まれた彼女は、一体どうなるのか。

 いかがだったでしょう。帯って意識すると、結構面白いですよね。明日は考えさせられるような帯を紹介します。では。
23:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 帯紹介 | Page Top


■2008/01/29(火) データへの思い入れは正しいのか(『ナツノクモ』) このエントリーを含むはてなブックマーク

ナツノクモ 8 (8) (IKKI COMICS)

 とうとう『ナツノクモ』の最終巻が出てしまいました。楽しみにしていた作品だったんで、悲しい限りです。ただ、全八巻で過不足なくまとまっていますし、八冊程度ならオススメもしやすい数です。そういう意味では、引き際の良い作品でもあります。

 舞台は、オンライン世界。ネット上にある3D空間で、キャラクターたちが生活してます。UOの世界をより高いテクノロジーで実現させたものぽいです。そこでユーザーはダンジョンを攻略したり、商売をしたり、ギルド作ったりします。

ナツノクモ 2 (2)

 主人公(上のおっさん)はゲーム内では伝説的な武名を持つエンジン男という人なんですが、現実ではゲームにはまり込んだせいで家庭を崩壊させた一児の父親です。まともに仕事もしなくなった彼は、ネット上で用心棒をやり、何とか生計を立てています。

ナツノクモ 5 (5) (IKKI COMICS)

 そんなエンジン男ですが、ネットの相棒(上の画像の人)からある仕事を持ちかけられます。オンライン上でアバターを使ってカウンセリングを行うことで、精神的な病を治すサークルというものがあり、その仕事を手伝うという仕事です。立派な廃人としてゲームに勤しむエンジン男が、精神を病んだ患者を救うのです。

 ……という感じです。上の解説だと暗めの話のように思えるかもしれませんが、実際はバトルアクションが多めで、テンポの良い明るい作品です。だからこそ、そこに描かれている重いテーマが強く打ち出されているのかもしれません。

 この作品は、読み手を選びます。マンガ自体はすごく面白いのですけど、ある感性がなければ、テーマが理解できないのです。そして、テーマが理解できなければ、バトルアクションとしては面白くとも、作品を理解できなくなっています。

 その感性とは、ネット上にあるデータに強い思い入れを持つことができるか、というものです。一般人的感覚では、ネット上のデータに感情移入はできないのだと思います。それはたかだかデータであり、指先一つでコピー可能な代物です。多少の感情を持てたとしても、すぐに捨て去れるだけのものでしかないでしょう。

 しかし、俺を含め、ネット上で活動している人間にとって、データは思い入れの塊です。一日一時間かけてテキスト書いてる人間にとってみると、たかがデータとは考えられません。それに、ゲームのようにコピー可能なものにだって、感情移入はできてしまえるのです。

 例えば、不思議なダンジョン。あのシリーズでは主人公のレベルが上がらない代わりに、武器や防具の強さや特性を上げていくシステムになっています。自分の鍛え上げた装備は相棒も同然で、それがデータをいじれば作れてしまうにしろ、思い入れはあるのです。

 『ナツノクモ』のテーマとは、データに思い入れを持つことは正しいのか。そして、データを介して交流する人間同士に芽生える感情は正しいのか。この二つです。だから、感性がなければ理解ができない代わりに、感性がある人にとっては興味を持たざるを得ない作品なのです。
14:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | マンガ | Page Top


■2008/01/28(月) 『スケットダンス』は喜劇 このエントリーを含むはてなブックマーク

 飯には色々な種類があるじゃんよ。中華にイタリアン、カレーにジャンクフード。それに、日本料理とか。こういうのって、一つの言葉で括れない美味しさってのがある。例えば、ものすごく高級な中華料理よりも学食のカレーの方が食べたい時がある。健康でヘルシーな日本料理じゃあなくて、身体に悪そうなハンバーガーがメチャクチャ美味く感じる、とかさ。

 で、マンガにも色んな種類があると思うんよ。例えば、すごくシリアスなマンガな。『死刑囚042』ってのが、そう。死刑囚の頭の中に爆弾を埋め込んで、社会へ奉仕活動をさせる。この主人公の042番っていうのは、残虐な殺人罪で捕まったんだけど、模範囚だったから爆弾付きだけど外の生活を許されたのな。この042番は、幼い頃に誘拐され、殺し合いを強要されていた。しかも、大きくなった後に殺人を犯したのも、K-1みたいなゲームに参加して金を稼いで、親にやるためだった。『死刑囚042』は良い作品ではあるんだけど、全編コレ一切の救いがないマンガだった。

 逆に、全編ギャグしかないマンガもある。『ピューと吹く!ジャガー』なんか、いかにもギャグマンガらしいギャグマンガだ。ひょんなことから同じ部屋で生活することになったジャガーとピヨ彦。伸びたり、刺さったり、戦ったりできる笛を操るジャガー。ツッコミの鬼・ピヨ彦。この二人が、なんか色々する。あからさまに幽霊なおっさんを「透明な人」と言い張る辺りが、いかにもギャグマンガらしい。

 ほんで、今日の本題はここから。今ジャンプで『スケットダンス』というマンガが連載してる。俺は、コレが大好きなのね。集中力しか取り得のないボッスン。ノーパソから声を出し、情報通なスイッチ。どんな相手でもホッケースティックで叩きのめすヒメ。この三人が学校内のお悩みを相談をして、問題を解決していく。これが『スケットダンス』である。

 『スケットダンス』というのは、何マンガなのかな。と考えてみた。一見すると、学園ドタバタコメディというのが正解である。高校を舞台にしているし、基本は三人がドタバタするコメディなのだ。しかし、このもっともらしい言葉では『スケットダンス』を表せていないんじゃないか。少なくとも、読んだことのない人に正確に理解してもらうのは難しいんじゃないか。そう思うわけである。

 なんか最近はコメディと書くと、自然にラブコメが連想されてしまうような気がするのだ。男キャラの数に比べて女キャラの数が多くて、主人公が女の子たちに振り回される。本命のあの子に近づいたり離れたりして、やきもきさせる。そういうマンガがコメディな感じがしてしまうのだ。

 『スケットダンス』は男キャラも女キャラも同じくらいだし、恋愛要素はほとんど欠片もない。だから、当然ラブコメではない。つまり、正統派コメディ過ぎて、コメディと形容するのが難しい。そういう状況なのである。

 こういう作品をどう形容すべきか、と考えてみたんだが、やはり素直に喜劇と称するのが分かりやすい。読んでいる人を笑わし喜ばせ、しっかり劇として物語も作りこむ。それが『スケットダンス』である。というわけで、結論は『スケットダンス』は喜劇である。
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■2008/01/27(日) 可愛い女の子を描かせたら最高のタアモ先生について(『恋月夜のひめごと』) このエントリーを含むはてなブックマーク

 タアモ先生の新刊『恋月夜のひめごと』が発売されたので、記念にレビューしてみる。タアモ先生は2001年に『てのひらをかさねて』という作品でデビューしておりまして、それから今現在まで小学館の少女マンガ誌でお仕事されてる。本人のサイトもあるので、気になる方はチェックしてみるといい。

 『恋月夜のひめごと』は、非常にベタな大正ロマンになっている。両親から愛情を与えられずに育ったお嬢様と若くして両親を亡くした書生が出会い、恋に落ちる。家族の反対にあいながら愛を育むも、実は兄妹の関係であることを知ってしまう。と、まあ、こんな感じで、昼メロによくある展開なわけである。

恋月夜のひめごと (フラワーコミックス)
恋月夜のひめごと:タアモ


 上の画像は今作の主人公・環の顔である。タアモ先生の描く女の子は、抜群に可愛い。可愛いと言わざるを得ない。可愛いというか、むしろ愛らしい。天使のように荘厳であるとかではなくて、野山にいるリスのような自然な愛嬌がある。なんというか、絶対的に悪意がないのだ。

恋月夜のひめごと (フラワーコミックス)         恋月夜のひめごと (フラワーコミックス)
恋月夜のひめごと:タアモ


 で、上が着物姿とモガ(モダンガール)姿の環である。全身像を見ても、やはり可愛いとしか言いようがない。大正を舞台にしたことで、今では滅多に見られない着物とモガの可愛らしい女の子を描くことができているのである。

 タアモ先生が優れているのは、何も絵だけではない。描かれる女の子の心理描写や仕草が、これまたえらく可愛いのだ。タアモ先生の作品に登場するキャラには、男が女の子に望む無邪気さ、愛らしさが詰まっているのである。

恋月夜のひめごと (フラワーコミックス)
恋月夜のひめごと:タアモ


 上の画像は、『恋月夜のひめごと』に収録されている短編「落葉樹と戀の花」の一コマである。真面目すぎて浮きがちな優等生の女の子が、自分に突然告白してきたクラスの人気者と会話をした後のシーンである。自分の受け答えを点数で考えて、落ち込んでみる。いかにも優等生らしい発想が、すごく良い。

恋月夜のひめごと (フラワーコミックス)
恋月夜のひめごと:タアモ


 こちらはちょっとしたデートの後にメールアドレスを交換して、メールが届いた時の様子。「必死だと思われるかした? 5分くらいあけたほうがいい?」という戸惑いが、可愛らしい。今ではすっかり忘れていたけども、俺も似たようなことを考えた頃があった。懐かしいと同時に、甘酸っぱい。

 まとめると、まず、タアモ先生の真価はストーリーではない。ストーリーを期待して買ってはいけない。タアモ先生の真価が発揮されるのは、可愛い女の子を描く時である。タアモ先生の女の子は顔や姿がメチャクチャ可愛く、その心や仕草も可愛いのだ。そこには410円払うだけの価値がある。
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■2008/01/26(土) イケニエのHN(『低俗霊DAYDREAM』10巻) このエントリーを含むはてなブックマーク

低俗霊DAYDREAM 10 (10) (角川コミックス・エース 70-10)


 『低俗霊DAYDREAM』の最新刊・最終巻を買ってきた。思い返すとずいぶん長いこと連載していた。wikiさんによると2001年2月に一巻が発売されているので、七年越しでの完結ということになる。驚くことに、一巻と最終巻で物語のトーンはまるで変わっていない。

 大まかにお話を解説する。主人公は美少女でSM女王様でパイパンの深小姫。深小姫さんは普段はSM嬢と雑誌コラムで生計を立てているんだけど、ごくまれに口寄せ屋の仕事をして臨時収入を得ることもある。つまり、夜中に笑い声がするマンションなんかに行って、幽霊にお帰りいただくお仕事である。

 『低俗霊DAYDREAM』は、幽霊に逆恨みされて殺されかけたり、ヤクザの地上げ屋に恨まれて殺されかけたり、生身の呪い屋に恨まれて殺されかけたりしながら、深小姫さんが何とか頑張って生き抜くというマンガなわけである。

 で、最終巻に、都内某所の橋の上で集団自殺することを宣言した大規模サークルを、深小姫さんが必死になって止めに行くというエピソードがある。自殺サークルの面々は焼身自殺を果たす前に、神様にお祈りをする。そのシーンがとても面白い。

 この自殺サークルというのはネット上で作られたものであって、そこではメンバーは本名を使っていないのである。いわゆる、HNというもので互いを呼び合う。だから、彼らが神に捧げるイケニエの名はHNになる。

 「進る物は、YUO、イミビヤメ、キリ、黒瓜、PETBUNDY、死遠、ワリオ、アメフラシ、コウスケ、駄馬子、素揚げ、エミー、アウリエル、プリンオリン、犬猫未満、JohnLee、−、アイロン犬、ズッキー、藤原充、椚アイ」

 幽霊や口寄せという言葉や設定は、非常に懐かしいものがある。古いというだけでなく、世界が違う。そう思ってきた。しかし、上のシーンを眺めていると、イケニエとHNという組み合わせが予想外にマッチしていることに気が付いた。

 イケニエに捧げるものとは人間であり、それは必ずしも本名である必要はないのかもしれない。その名前を自分だと思えれば、それは捧げるべき名前であり、人間である。そういうものなのかもしれない。ごく奇妙な取り合わせなのに、ごく自然に見える。非常に不思議な感覚がある。
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■2008/01/25(金) 萌えと鬱のダブルパンチ このエントリーを含むはてなブックマーク

 石田敦子のマンガは萌えと鬱のダブルパンチだね。

魔法少年マジョーリアン 1 (1) (アクションコミックス)   魔法少年マジョーリアン 2 (2) (アクションコミックス)


 有名どころだと、『魔法少年マジョーリアン』という作品がある。奇妙なウサギ型のマスコットにアイテムを渡されて、うっかりと魔法少女になってしまった二人の少年。上の画像の左の少年がいじめっ子のマサル。右はいじめられっ子のイオリ。そう、彼らは男の子だけど、大人の女の人に変身して、大きな敵をやっつけなければならなくなったわけ。

 見たところ小学校高学年の二人。特に、クラスでもガキ大将を気取るマサルは女に変身することを嫌がるわけですよ。マサルは姉が三人もいて、どいつこいつもワガママで横柄。大嫌いな姉がいるせいで、女性自体に嫌悪感がある。だから、極端な話、女になるくらいなら地球が滅んでもいいとまで言い出す。

 一方で、イオリはとても健気な少年。いじめられても黙って耐え、母親のために家事の手伝いもする。気弱で大人しくて、優しい。そんなイオリだから人々の暮らしを守るためなら、ためらわずに変身して、敵と戦う。でも、イオリが頑張るのは、頑張るイオリを必要としてくれる誰かがいるからでもある。イオリを必要としてくれる人がいなくなったら、あらゆるものを見捨ててしまえるだけの残酷さもある。

 マサルもイオリも、その周囲の人々もみんな可愛い。石田敦子の絵柄は可愛いのだ。萌えという言葉だけでは表現できない可愛らしさが、彼女の絵にはある。お話も一見すると日曜朝にやっている子供向け番組みたいな感じなのだが、その内実はものすごい鬱展開。このギャップがたまらない。

 で、時期的には『マジョーリアン』よりも早くに連載が始まった『わがまま戦隊 ブルームハート!』も、かなり萌え+鬱展開が濃い。

わがまま戦隊ブルームハート!(1)


 『ブルームハート』はご町内の平和を守るだけの、少女五人組。謎の博士の作った装置を使うと、一瞬にしてコスチュームが変化して、大の男でも投げ飛ばせるだけのパワーや魔法のような必殺技を使えるようになる。彼女たちの守備範囲はご町内だけで、国や世界を守る気なんてさらさらない。「世界平和なんて馬鹿なこと、男にまかしとけばいい」と公言している。もしかしたら、これは少年二人が世界を守る『マジョーリアン』を意識した伏線だったのかも、なんて。

 ご多分に漏れず、『ブルームハート』も鬱展開が満載。過保護な親の干渉で家を出ることもままならず、戦隊に参加しないことで仲間からは責められ、疲れきるゆり。何の見返りもなく献身する自分を、役立たずと罵り、良いように使うことに疑問を感じるのばら。学校と戦隊の仕事をこなしながら、何かが少しずつ壊れていく様子が鮮明に描き出されている。

 この少女五人組がしっかりと描き分けられている上に、個性もあって、可愛いのである。左から順番に、清楚でおっとりとしたゆり。活発でボーイッシュなひまわり。明るくて元気なのばら。天然でぼんやりしたすみれ。真面目で気弱なさくら。個人的には、性格・ビジュアル両面でさくらが好き。しかも、上に書いたように、リアルな展開がしっかりと鬱を誘う。

 萌えと鬱。ヤンデレとは似て非なる良さが、石田敦子にはあるね。
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■2008/01/24(木) 萌えとシチュエーションコメディ このエントリーを含むはてなブックマーク

 シチュエーションコメディは読み手を選ぶ。これは良し悪しではなく、好みの問題である。

 絵柄の可愛いマンガは、非難されやすい。「萌え絵しか見るところがない」だとか「あるあるネタしかない」、「ネタ以外は良い」などである。まんがタイムきららに代表される萌え四コマが増えてからは、特によく聞くようになった。

 俺が思うに、萌え系マンガはシチュエーションコメディが多いのである。シチュエーションコメディはキャラありきで始まるものなので、キャラを作り出すことが好きで、キャラに愛着がある人ほど選びやすい手法なのかもしれない。

 wikipediaのシチュエーションコメディの項を引用すると、シチュエーションコメディとは以下の特徴を持つものである。

・連続ものだが原則として1話完結で、回をまたがる物語のつながりや進展は希薄である。
・主要な登場人物はほぼ一定。メンバーがたまに変化したり、ゲストが登場したりすることはある。
・主要な舞台が固定されている。家庭や職場などの環境がしばしば使われる。
 例えば、少年ジャンプで好評連載中の『To LOVEる』がそうである。リト、ララ、春菜の三名が主要キャラとして登場し、イブや古手川などがサブとして出てくる。舞台は自宅やその周辺、学校と決まっており、まれに無人島や宇宙へ飛び出すこともある。

 これに付け加えて、マンガ業界におけるシチュエーションコメディとは、ほぼキャラに焦点を当てたマンガである。ライトノベルという言葉が普及する以前、キャラ小説という言い方があった。その言い方を援用すると、キャラマンガとでも呼ぶべきものがシチュエーションコメディのマンガである。

 シチュエーションコメディのマンガは読み手を選ぶ。この種のマンガは、決まりきったキャラが決まりきったドタバタを起こし、それを楽しむものである。そのキャラクターに興味の持てない人間は、その作品を読んでもちっとも面白く感じられない。

 まとめると、萌え系の絵柄はシチュエーションコメディであることが多い。そして、シチュエーションコメディは作品の質に関係なく、読者の好みが分かれる。よって、ある程度の質を保っていても、嫌う人間が多いので、一括りに貶められることになる。
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■2008/01/23(水) 素晴らしいB級作品 『ピースメーカー』 このエントリーを含むはてなブックマーク

PEACE MAKER 1 (1) (ヤングジャンプコミックス)


 『ピースメーカー』買ってきた。ウルトラジャンプ連載、皆川亮二のアクションマンガである。父親の拳銃を受け継いだ優しい青年が、行く先々で心ならずも悪党と決闘するはめになる。腐れ縁的に連れ歩く仲間やワケアリの少女など、伝統的B級映画の要素が強い。

 現在チャンピオンREDで『学園創世猫天』という作品を連載している岩原裕二という作家がいる。彼は『いばらの王』という単行本に、「この作品はB級映画を目指した」と書いている。『いばらの王』は実際、非常にB級的な作品である。宇宙から飛来した隕石にへばりついて地球にやってきたウィルスが、世界中の人間を石に変えてしまう。この脅威から逃れるために、主人公はとある洋館でコールドスリープに入る。彼女が目覚めると、そこは巨大な恐竜が跋扈する世界に変わり果てていた。

 この作品は、全てが洋館の中で行われていく。主人公たちは恐竜から逃げ惑いながらも洋館に仕掛けられた装置を動かし、外への脱出口を探す。行く先々で奇妙な出来事に遭遇する彼らは、次第にウィルス事件の隠された真相に迫っていく。仕掛けやアクションによって物語を進め、ストーリーを見せていく手法が非常にゲーム的・ハリウッド的で楽しい一冊である。

 この最初から最後まで一貫してエンターテイメントであり続ける姿勢。これがB級映画の特徴だろうと思う。読者を心からハラハラドキドキさせ、しんみりさせ、かっこよくアクションする。笑いどころも作った上で、激動のクライマックスとハッピーエンド。こと楽しむという点に関して、B級という姿勢は素晴らしいものだ。

 で、皆川亮二の作品はB級なのである。上の文章からも分かる通り、俺はB級を否定的な意味で使っていない。読者を楽しませるための最低限の要素を絞り込み、選び抜いた要素を最大限に生かす。皆川亮二の作品はそういうものなのである。

 原作付きの『スプリガン』の段階ではややまとまりが悪いながら、お約束を外さない、熱いストーリーが展開されていた。『ARMS』は中だるみしない限界量まで最大限に作りこまれたストーリーによって、作品が叙事詩ともいえるものになった。そして、『D-LIVE』では一定のお約束によって安定感を与えつつ、ストーリーをもきっちり進めていた。

 こうしてみると、皆川亮二の作品に漂うB級映画的な空気は初期の頃から散見される。だが、ストーリー・演出・キャラクターの質がこれほどまでに安定し、完成度が高まったのは『ARMS』の中期頃からだろう。皆川亮二の特徴である、小さな物語を終わらせつつ、大きな物語を進めていく手法は『スプリガン』の頃から見られる。この手法は全体が一つの物語として機能している『ARMS』で完成されたのではないか。

 演出手法は浦沢直樹と同程度に固定化されており、既に定型として極まっている状態にある。『スプリガン』の後期には、既に演出手法は決定していた。また、『ARMS』はメインの四人に試練が与えられ、それぞれが未熟な状態から成長していく。自ら作り出したキャラを鍛え、作り変える作業によって、キャラメイクが一層上手くなったようにも思える。

 皆川亮二はストーリー・演出・キャラクターが既に完成された作家である。あえて言うならば、異なっているのは語られる内容のみだろう。ハリウッド映画が何十年も前から、同じ作品しか作っていないのと同じである。そして、ハリウッド映画が未だに面白く観られるように、皆川亮二の作品はどこまでも面白い。

 おそらく、今作は『ARMS』のように叙事詩的なものでありながら、あれよりは手短なストーリーになるのだろう。大まかなあらすじは予想できながらも、なお期待していられる。それが皆川亮二であり、『ピースメーカー』である。
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■2008/01/22(火) 『脳噛ネウロ』シックス編の構造的欠陥 このエントリーを含むはてなブックマーク

 『脳噛ネウロ』シックス編には構造的欠陥がある。

 まず、『ネウロ』は推理マンガの形式を取っている。読者に推理させるだけの情報や時間を与えていないので、読者が推理することは不可能ではある。ただ、冒頭で謎を提示し、それによって物語を進めていく形式を取っている。

 例えば、ネウロが登場する初回のエピソードは、ファミレスの殺人事件だった。この殺人事件では、犯人も知らなければ被害者も全く見ず知らずの人物である。それどころか、狂気やアリバイに関する情報も一切読者には開示されていない。

 ところが、ここには謎というものがあった。それは殺人事件のトリックではない。ネウロという怪人に対して、読者が持つ不思議。それが謎である。この男は何なのだろう。一体どういうことをするのか。さらにいえば、このマンガは今後どういった展開をするのだろうか。そういった謎が読者を牽引していた。

『ネウロ』は殺人事件など推理マンガ的なネタを扱いながらも、それを謎の核にはしない。犯人がしばしば醜悪な魚や動物に化けることから、その姿が謎になったり。犯人の目的や犯行動機が謎になったり。と一般的な推理マンガでは問題にされない部分を謎とし、それによって物語を進めるマンガなのである。

 ところで、現在『ネウロ』はシックス編に突入している。シックスとは人間の悪意が定向進化した存在であり、その悪意のために人類よりも発達した頭脳を持っている。人間ではない人間である。彼らは人間の存在を認めておらず、地球人類の滅亡を目的として行動している。

 人類の生み出す謎を食料として生きるネウロと人類の根絶やしを目指すシックスは、当然対立する。それも好みや主義主張ではなく、生存するための目的が対立しているのだから、妥協や協力は考えられない。徹底的な殺し合いになっている。

 このシックスの存在が厄介なのである。ネウロにとって厄介なのはもちろんだが、物語構造的にも非常に厄介なのである。まず、ネウロは謎を食う生物であり、謎が食える限りは死ぬこともない。一方で、シックスはネウロを殺すために、謎を作ってはいけない。純粋なら悪意による攻撃のみで、ネウロを仕留めなければならない。つまり、ネウロとシックスの戦いに、謎が存在してはならない。

魔人探偵脳噛ネウロ 1 (1) (ジャンプコミックス)    魔人探偵脳噛ネウロ 1 (1) (ジャンプコミックス)
魔人探偵脳噛ネウロ:松井優征


 ところが、冒頭でも触れたように、『ネウロ』というマンガは謎によって物語を進めている作品である。謎がなければ話が進まないのである。だからこそ、謎は描かれなければならない。例えば、今週号では五本指と呼ばれるシックスの一人の顔が隠されている。また、本城刹那の死因に触れ、謎を演出してもいる。

 詳細に読むと、ネウロとシックスの戦いに謎を介入させず、それ以外の部分に謎を作り出すことで物語を進めていることは分かる。逆にいえば、詳細に読まない限り、こういった構造は非常に分かり辛い。少なくとも、パラパラめくって、それが分かることはないだろう。

 キーワードは謎である。謎をめぐって、物語は展開している。しかし、どれが謎で、どれが謎ではないのか。そして、どの謎ならば存在が許され、どの謎なら物語上おかしいのか。これがシックス編になって、複雑になりすぎている。構造的欠陥は言い過ぎかもしれないが、非常に難しい状況である。
14:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | マンガ | Page Top


■2008/01/21(月) 『よつばと』の違和感 このエントリーを含むはてなブックマーク

 『よつばと!』は終わらない夏休みか。 - Something Orange
カトゆー家断絶から。

 ちょっと気になったので、以前別の場所で書いた文章を転載してみる。

 『庭先案内』三巻を買った。このマンガを読んでいると、世界というものについて漠然と思うことがあった。

よつばと! (5)

 『よつばと』の世界は、宇宙のどこかである。オリオン座でもいいし、白鳥座でもいい。異次元でもいいし、パラレルワールドでも構わない。重要なことは地球ではなく、日本ではない、ということだ。少なくとも、今ここではないし、過去にも未来にもない。

 感覚の問題である。俺は『よつばと』を読んでいると、上のようなことを感じる。『よつばと』の世界は、地球の日本の今に見える。日本のどこかの一家庭の日常を淡々と描いた。そのような作品に思える。しかし、俺にはそれが、日本のどこかをモデルにした架空世界で、地球人によく似た人間が牧歌的な日常を送っている一コマであるように見えるのだ。

 どう表現すればいいのか分からないが、『よつばと』と俺の生きる現実には決定的な断絶がある。文学的に表現すれば、同じ鉛筆で絵や文字を書いているのだけど、そこに記されている内容は全く違う。例えるなら、俺が自宅の風景を絵に描いており、横目で『よつばと』の世界を見るとそこにも誰かの自宅が描かれているように見える。だが、俺には自宅に見える『よつばと』の風景は、実は墓であったり公共施設だったり、もしかしたら建築物ではなく食べ物や道具なのかもしれない。そういう錯覚がある。

庭先案内 3 (3) (BEAM COMIX)

 『庭先案内』の世界は、明らかに日本でもなければ、地球でもないかもしれない。そこには鬼が住んでいるし、神様と人間が仲良く話すことができる世界でもある。想像を映し出す映写機もあれば、被るだけで幸せが訪れる帽子もある。これは現実よりもSFやファンタジーの世界である。そこに登場するキャラクターの顔立ちも日本人らしくはない。長いマツゲのついた縦長の瞳は、東南アジア系のどこかの国の人物に見える。

 しかし、『庭先案内』の世界は、現実と地続きである。これも表現が難しいのだが、今ここにいる自分と『庭先案内』はどこかで繋がっている。そこに描かれているものは現実には存在せず、キャラクターは自分と似ても似つかない。女性や子供ばかりでなく、中年男性や爺さんまで愛らしく描かれる『庭先案内』に比べれば、『よつばと』のジャンボの方がまだしも自分に近いと言える。しかし、『庭先案内』には不思議にシンパシーを感じるのだ。

 これも文学的に表現すれば、個々が持っているものは鉛筆や万年筆、筆やボールペンだが、それを使って描いているものは同じである。線の形や太さ、色などが全て違っており、それによって描かれる形も違っている。あるものは四角い箱で、あるものはテントである。しかし、それが表す内容は全て誰かの家という点で一致している。


 我ながら、意図の読みにくい文章である。ようするに、この時僕は「『よつばと』は一見すると牧歌的な世界に思えるのだけど、実はとても奇妙な世界なのではないか」と感じていたのだ。そして、その感覚は今現在でも消えていない。

 『よつばと』が持っているのは、過去や思い出に対する懐かしさでもなければ、まだ何者でもない一人の人間の冒険でもない。現実に偽装したフィクションであり、その内実は現実を模倣してもいない。懐かしさや面白さを感じる一方で、この世界とは違う原理の働いている全く別の世界を垣間見る空恐ろしさがある。
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■2008/01/20(日) 千鳥かなめ=不屈闘志 このエントリーを含むはてなブックマーク

戦うボーイ・ミーツ・ガール―フルメタル・パニック! (富士見ファンタジア文庫)   逆境ナイン (1) (サンデーGXコミックス)

 千鳥かなめは不屈闘志だと思う。

 久々に『フルメタルパニック』を通して読んでたんですよ、押し入れ引っくり返して。1巻から順番に読んでいて、今は11冊目の『あてにならない六法全書?』まで来たところ。『フルメタ』は富士見ファンタジア文庫で好評発売中のシリーズで、シリアスな本編と学園コメディの短編集が出てます。

 本編は、それはもう、シリアスなストーリーです。大型の巨大人型ロボット・アームスレイブ(AS)や100キロを越える速度で海中を進む潜水艦など、『フルメタ』の世界にはありえないほど進んだ技術が存在しています。

 これらの技術は科学者が研究した結果として作られたものではなくて、ごく限られた人間が超常的な存在と交流して得たものなのです。ある人は巨大ロボットの技術を、別のある人は潜水艦の技術を得たのですね。

 逆に、彼らはものすごい未来的な技術を幾らでも手にすることができるのですから、引く手数多です。どんな手段を使っても、手に入れたいと考える組織が山ほどあります。そうした組織は拉致やテロなど非合法的な手段でもって、彼らの生活を脅かすのです。

 逆に、短編シリーズの話は本編と打って変わったコメディ一色です。南の島から送られてきた珍種のサザエの殺害犯人を探す話、優しく温厚な男子ラグビー部員を一週間で凶暴で口の悪い海兵隊員に洗脳する話など、本編の悲壮な雰囲気はまるでありません。

 で、千鳥かなめとは『フルメタ』のヒロインの少女なわけです。何かの偶然で何百年分も進んだ未来の知識を手に入れてしまった彼女は、謎の組織に襲われます。知識があろうと、ただの女子高生なのですから、普通だったら泣き叫んだりするところです。

 ところが、千鳥かなめは逆境に敢然と立ち向かうわけです。落ち込んだり、絶望したり、怖がったりはします。しますが、それでも前を向いて立ち上がるわけです。そう、まるで、少年マンガの主人公のような不屈の精神があるわけです。

 さて、不屈の精神といえば、不屈闘志なわけですよ。不屈闘志とは『逆境ナイン』の主人公で、口癖は「これが逆境だ!」という熱い男です。不屈闘志は所属する野球部が一話目にして廃部を宣言されたり、試合中に100点差をつけられたりと、とにかく逆境にあうわけです。そこで、不屈は落ち込んだり、絶望しながらも、「これが逆境だ!」と立ち上がるんですよ。

 ようするに、不屈闘志というのは少年マンガの主人公の持っている性質を極限まで煮詰めたようなキャラクターなんですね。ということは、『フルメタ』の千鳥かなめはヒロインでありながら、少年マンガの主人公の成分を抱え込んだキャラクターだ、ということです。

 『フルメタ』の面白さは、ヒーローだけでなくヒロインまでもが主人公だ、というところにあるのかもしれません。

注)冒頭の画像はアニメ公式HPの設定資料から
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■2008/01/19(土) 高槻さんの悪女ぶり(『放浪息子』7巻ネタバレ) このエントリーを含むはてなブックマーク

 昨年十二月に買った『放浪息子』の7巻をようやく読みました。今回は高槻さんの悪女ぶりが顕著な巻でしたね。薄々そんな気はしていたんですが、このマンガで一番癖のある性格をしているのは、女装の好きな少年・二鳥君でもなければ、感情の沸点の低い千葉さんでもなく、高槻さんなのですよね。

 まず、『放浪息子』というマンガのおさらいをしましょう。読んだことのない人は、このあらすじを読んで、あたかも全巻制覇したような気になって下さい。このマンガの主人公・二鳥君は女装の好きな少年です。お姉ちゃんのセーラー服を着て、うきうき気分で遠くの駅にお買い物に行っちゃう。ちょっとアブノーマルな小学生でした。

 ところが、誰にも見つからないと思っていた駅で、二鳥君はクラスメイトの女の子・高槻さんに会ってしまいます。実は、彼女は男の格好をするのが好きな女の子。つまり、二鳥君は正反対の女の子だったのです。この、ちょっと変わった二人を中心に、思春期の複雑な人間模様が描かれていくのが『放浪息子』というマンガです。

 さて、冒頭にも書きましたように、今回は高槻さんの悪女ぶりが存分に発揮された巻でした。

 まず、複雑な点の一つなのが、二鳥君の性癖ですね。二鳥君は「女の子の格好をするのが好きな男の子」ではあるのですけど、「女の子が好きな男の子」でもあるのです。だから、二鳥君は高槻さんが好きになりました。高槻さんを、趣味の合う、美しい女の子とみなしていたからです。

 ところで、高槻さんは「男の子の格好をするのが好きな女の子」なのですが、どうも「女の子が好きな女の子」でもあるようなのです。だから、女の子のように可愛らしい二鳥君と歩くことは楽しくとも、男の子としての二鳥君の求愛には応えられないのですね。

 結果として、二鳥君は高槻さんに告白し、振られました。そして、時間は移り変わります。二鳥君は姉・真穂の友人である杏那ちゃんという女の子に告白し、お付き合いを始めます。杏那ちゃんは一見きつそうな見た目なのですが、優しく、モデルをするほど可愛らしい顔立ちなのです。二鳥君の女の子の趣味はとても男性的で分かりやすいものなのですよね。

 高槻さんは二人の交際を知って、ショックを受けます。二鳥君に告白された時点で、二鳥君に抱いていた同類意識は半ば壊れていたでしょう。服装に関して違和感を持っているのは同じだけれども、好きになる対象まで逆転していないことに気付いたのです。そして、二鳥君が本当に女の子と付き合っていることを知った高槻さんは、とうとう二鳥君が仲間ではないことを確信しました。

 ここで、高槻さんの行動原理は入れ替わったように見えます。「女装した男の子を、女の子として愛する」よりも「可愛らしい女の子を愛する」方向に移り変わったのです。ここで千葉さんという女の子が登場してきます。

 千葉さんは非常に極端な性格をした女の子です。千葉さんは可愛らしいものが好きな人で、だから、二鳥君が好きなのでした。二鳥君は男の子ですけれど、おそらく、千葉さんが愛したのは女の子としての可愛らしさを持つ二鳥君です。

放浪息子 7 (BEAM COMIX)
放浪息子:志村貴子

 高槻さんは少しずつ千葉さんとの仲を縮めていきます。最初は互いに険悪な間柄だったものを、根気良く通い詰め、信頼を獲得していきます。そして、高槻さんと千葉さんが友人よりも近い間柄となる寸前に、二人の間にある微妙なズレが浮かび上がります。

 物語の後半で、千葉さんは高槻さんに尋ねます。「男の子になりたいの?」。高槻さんは期待に胸を膨らませて、応えます。「うん、なりたい」。すると、千葉さんはさらに、こう質問しました。「だから、髪を短くしたの?」と。

 たぶん、高槻さんが男の子の格好をするのは、それが「自分が男であることの証明になるから」です。本質的に、高槻さんは女の子の格好や言葉を嫌がってはいません。ただ、それによって女の子として扱われることを嫌うだけなのです。高槻さんにとって、長い髪は「ファッションとして好き」であるけれど、「男として嫌うべき対象」です。

 千葉さんが高槻さんの長い髪にこだわる理由は、それが可愛らしく、美しいものだからです。おそらく、千葉さんが好きなものは美しいものであって、それが男であるか女であるかということは、実は問題ではないのですね。

 高槻さんは「男の子」として、「女の子」の千葉さんを好きになりかけていました。だから、そのために髪を短くし、男装をするのです。「女の子」である千葉さんは、「可愛らしい」高槻さんに憧れを持ちます。だからこそ、長い髪の高槻さんをより好ましく思うのです。

 このズレは修正しようと思えば、修正できる類のものです。しかし、不器用な二人はそのズレに気付くこともなく、ただ奇妙な感触だけを残して分かれるのです。そして、千葉さんを「男としての自分を受け入れてくれないもの」とみなし、高槻さんの心は再び二鳥君の元へ傾いていきます。

 ここで、7巻のお話は終わっています。主人公の一人である二鳥君は女装の趣味を捨てきれないでいるものの、とうとう女の子と付き合うようになりました。そのためか、ギクシャクしていたクラスの男子とも話せるようになりつつあります。

 一方で、高槻さんは自分自身が何ものであり、何がしたいのかを、把握しきれていません。ただ、思うがままに行動し、周囲を振り回していきます。我が道を見据えて周囲を排除する千葉さんに比べて、何も見えずに周囲の人々を巻き込んでいく高槻さんはやや恐ろしいものがあります。

 本当の悪女というものは、自覚がないままに嵐を引き起こしていくのだろう。そう感じさせる一冊でした。
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■2008/01/18(金) 笑顔っていいよね(『たくらまかん展覧会』) このエントリーを含むはてなブックマーク

 笑顔っていいよね。

 仏頂面した男子高生の、気恥ずかしいような笑顔。じいさんやばあさんの、目尻にシワを寄せるような笑顔。ほおの筋肉全部が緩んだような、子供の笑顔。笑顔というものは、それだけで見る人の気持ちを和ませるものだと思うんです。

 動物は腹を見せたら攻撃されないらしいんですよ。もちろん、牛や馬がライオンに腹見せたら、ダメですよ。即座に噛りつかれて晩御飯ですよ。でも、例えば、犬と犬。猫同士のケンカなど、同じ種類の動物が戦う時は、腹を見せたら降参だよ、っていう意味なんだそうです。

 笑顔って、そういうものだと思うんですよね。どっちかというと、笑顔は見る人を降参させる武器だと思う。魅力的な笑顔を見せられたら、見た方は降参しなきゃいけないんですよ。頭のどこかがそれを知ってるんですね。「泣く子と地頭には勝てない」って言いますけど、人間は笑顔にも勝てないんですよ。

 で、ですよ。それは当然ながら、女の子にも適用されるんですよ。ツンケンした女の子やいつも冷静な女の子も、いいですよ。でも、そういう女の子がふとした瞬間に見せる笑顔。最高じゃないですか。自分だけに見せる緩んだ表情。そんなもの見せられたら、惚れるしかない。男にとって女の子の笑顔は、恐ろしいくらいの威力を発揮する武器なんです。

たくらまかん展覧会 (セラフィンコミックス)


 そのことをよく表現しているのが、田倉まひろ『たくらまかん展覧会』。ヒット出版社から出ている、エロマンガ。これに収録されている「三白眼の彼女」です。たった28ページの作品なんですけど、ヒロインの信藤ゆづの可愛さが極まってるんですよ。

 上の表紙を見れば分かると思うんですけど、信藤ゆづは三白眼なんですね。三白眼の人って、目付きが悪く見えるじゃないですか。それに加えて、信藤ゆづは無表情で無愛想な女の子なんです。そんな信藤ゆづと友達付合いしていた主人公が、いきなり彼女に告白します。その理由は、彼女の笑顔が魅力的だったから。その笑顔を見たい人は、ぜひ買ってみましょうってことで。

 エロマンガって、男が感じる女の子の魅力を最大限に描いてくれるんです。「そんな女、現実にはありえない」と言われてしまう。それくらい極端に、女の子の愛らしさを表現してくれるから、エロマンガを買っちゃうんですよね。
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■2008/01/17(木) 『火の鳥 宇宙編』に見る手塚先生の偉大さ このエントリーを含むはてなブックマーク

火の鳥 (9)
火の鳥 宇宙編:手塚治虫


 手塚先生は天才だな。そうとしか言いようがない。

 現在のマンガというのは基本的に時間軸に沿って描かれている。マンガ内でもそういうことになっているし、読者も時間を意識しながら読んでいる。具体的には、「マンガは右上から左下に向かって読み進める」ものであり、「コマが進むにつれ、時間も進んでいる」という前提がある。

 俺はマンガ史には詳しくないので、このルールがいつ決まったのか知らない。特に、興味もない。このルールはあまりにも当たり前すぎて、何の違和感もなく受け入れられている。例えば、八十半ばのうちのじいさんも知っているし、小さな子供だって分かっている。ごく自然なものだと思っている。

 だが、マンガにおけるコマと時間の関係性というのは、必然のものではない。誰かが決めたルールであり、お約束に過ぎない。そういうことになっているから、そう読んでいる。ただ、それだけである。逆にいえば、別のルールによって描き、そのルールに従って読ませることができれば、そこに新たな表現ができる。

 前置きが長くなった。冒頭の画像は手塚治虫『火の鳥 宇宙・生命編』の1ページである。見れば分かる通り、このページは右上から左下にかけて順序よくコマを眺めていくルールを使っていない。時間軸を上から下にだけ流れている。左右はキャラクターの存在する場所を表現しており、別々に分かれているコマではキャラも分かれており、1つに複数が描き込まれているコマではキャラが同じ場所に存在することを示している。

 この表現の利点は、同時並行という状況を作家にとっても読者にとっても簡単に表現できる点にある。通常のマンガ手法で同時並行を表すためには、A-B-A'-B'のように時間と場所を何度も行き来しなければいけない。これはページ数を食うし、読者にとっても理解し辛い手法であるため、多用ができない。

 ところが、手塚先生の手法ならば、たったの1ページで同時並行という状況を分かりやすく描くことができる。まず、大コマを使えないという欠点はあるものの、ページ数は圧倒的に縮められる。さらに、コマとコマが連結されているため、何が起きているのかを読者が直感的に把握できる。

 この『宇宙編』は全編に渡って実験的な手法が使われている。これ以外にも幾つのか、現在では見かけることのないマンガ表現がある。すごいのは、そういった実験的手法がほぼ完璧な状態で使用されていることである。「この手法なら、こうした方が良かったのに」という齟齬がまるでない。ほぼ完全な状態で試してみて、メジャーにはならないと捨て去った手法なのだろう。

 もちろん、こういった新しい表現の仕方を考えることもすごい。ただ、手塚先生のすごさはそこじゃない。頭の中で考えた手法をいきなり完全な状態で実験してしまい、なおかつ、適さないと判断し、捨て去れることだ。通常ではそこまで冷静な判断はできない。このマンガに対する冷静さが、手塚先生のすごさだろうな。
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■2008/01/16(水) 思い入れを描くマンガ『深夜食堂』 このエントリーを含むはてなブックマーク

 俺は食うのが好きだ。買って食うのも、自分で作るのも。外食するのも、誰かに作ってもらうのも大好きだ。食べ物の写真を見るのも好きだし、レシピを見ながら工程を考えるのも好きだ。行き慣れない土地に行った場合は、必ず本屋と飲食店をチェックする。和洋中なんでも好きだし、アラブ系や東南アジア系の料理も結構好きだ。

 で、美味い料理というものがある。黒豚だの伊勢海老だのといった高級なものでなくとも、旬で新鮮な食材を選んで使う。一気に全てを炒めるのではなく、順番に炒めてから混ぜ合わせる。何時間も根気良く煮込んでみる。そういう地道な工程の積み重なったものは、美味い。

 一方で、ジャンクな美味しさというものもある。マクドナルドやケンタッキーなど、ファーストフードがそうだ。明らかに油が多いし、塩味も強すぎる。油で胃を膨らませ、塩分で刺激を与える。瞬間的な楽しみのためだけの食べ物。毎日食べると体に悪いけれど、時々猛烈に食べたくなる。

 そして、気持ちの料理というものもある。堅実な材料集めや調理の結果でもなければ、油や塩分が強いわけでもない。ただ、思い出の詰まった、だからこそ美味いと感じる料理。小学校の頃に食べた給食や夕暮れの住宅街に漂う煮物の臭いなど、郷愁を誘うような食べ物。

深夜食堂 1 (1) (ビッグコミックススペシャル)

 この気持ちの料理に焦点を当てたのが安倍夜郎『深夜食堂』である。ちょっと前にレビューを読んでから探し回って、ようやく神田の丸善で手に入れた。URLを残しておかず、検索にもひっかからない。ぜひリンクしておきたいんだが。知っている方がいたら、コメントお願いしたい。

 このマンガには色々な料理が登場する。一晩置いて冷えたカレーを熱々のご飯にかける「きのうのカレー」や着色料で染められたウィンナーをタコ型にした「赤いウィンナー」などである。一応は飲食店を舞台にしたマンガなのに、市販のインスタントラーメンが登場することさえある。

 人間、誰でも一つくらいは思い出の料理みたいなものがある。俺の場合は、ソーメンだ。共働きで預けられていたばあさんの家で、毎週土曜に出てきたのがソーメンだった。なんでか知らないが、六年間毎週ソーメンなのだ。あの頃一緒にソーメンを食ったばあさんは死んでしまった。そのせいか、どうもソーメンを食うと感傷的になってしまう。

 このマンガは、こういった誰かの食い物への思い入れを描いたマンガである。フランス料理だの高級食材といったものは一切出てこない。特殊な技巧やアイディアが描かれるわけでもない。料理のマンガだが、料理について描かれることはない。描かれるのは、思い入れだ。
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■2008/01/15(火) 『電波の男よ』の童話性 このエントリーを含むはてなブックマーク

電波の男よ (フラワーコミックス)

 『電波の男よ』を読んだ。西炯子のマンガで、小学館・フラワーコミックスから出ている。まるで、おとぎ話かファンタジーのような話だった。

 もちろん、マンガとはファンタジーである。紙の中に描かれた線であり、それを人間や建物、世界だと認識しているに過ぎない。仮に、現実をベースにした物語であっても、現実そのものが写し取れるわけでもない。空想の産物である。

 ただし、ファンタジーであるとはいっても、そこにはある程度の現実感というものが存在する。現実感で分かりにくければ、世界観でもいいし、常識と表現してもいい。作者が想定している「当たり前の感覚」というものが表れる。

 その「当たり前」が非常におとぎ話に近いのだ。おとぎ話は、現実に近いものでありながら、現実ではない。例えば、昔々のおじいさんとおばあさんのお話は、現実であるという設定だが遠い過去の話でもある。あるいは、地球の裏側のナイロビの話でもいい。人間としての常識は共有しているようにも思えるが、どこかで断絶している。

 この短編集には「波のむこうに」、「電波の男よ」、「海の満ちる音」の三作が収録されている。最後の一作は違うのだが、前者二作は自分に自信のない男女が美人/ハンサムになって行動し始める内容になっている。顔一つが変わっただけで、まるで水を得た魚のように生き生き動き出す。

 これらの作品における「顔」とは、シンデレラにおける「ドレス」や「ガラスの靴」に相当する。そう見える。そもそも、顔にもドレスにも価値はない。ただ、周囲の期待に応えられるようになるだけだ。その視線を自分で自分に適用し、苦しむ。だからこそ、それが解消されることで自由な行動ができるようになる。

 シンデレラがドレスやガラスの靴を失うように、これらの作品でも主人公たちは顔を失う。もしくは、顔によって傷つく。「顔」という魔法の力を持て余して、それらを放棄する。魔法を手放すことによって、ようやく真の幸せを手に入れる。

 このあまりにも美しいストーリー展開が、非常におとぎ話的なのである。現代の童話といってもいい。人によってはご都合主義と言うかもしれないが、個人的にはとても素晴らしいことだと思う。俺の感じる「良い」を的確に表現するのは難しいが、抽象的に書けば「帰ることのできる場所」ということになる。

 様々なマンガや小説、映画にゲームが溢れている。ファンタジーにSF、殺し合いに恋愛。逆に、全く何も起こらない日常を描く作品もある。そういった多様な市場の中で、基本となるような話というのは救いになる。そう感じる。
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■2008/01/14(月) 川嶋亜美の新たな地平 このエントリーを含むはてなブックマーク

とらドラ2! (電撃文庫)

 『とらドラ』の川嶋亜美が素晴らしい。彼女は属性の新たな地平であり、原点回帰だ。

 まず、あらすじを解説。『とらドラ』の主人公は高須竜児という。高校二年生で、その名の通り男子。生まれついて鬼瓦のような顔面と鬼のように鋭い眼光であり、うっかり笑ったり見つめたりしようものなら、泣く子も泣き出す。

 ところが、実は竜児はいたって温厚で、母親想い。ヤクザの父親は塀の中にいて、水商売で一人息子を養う母親と手と手を取り合って生きてきた心優しい青年である。趣味は掃除で、料理・洗濯もお茶の子さいさい。夢はブランドの生活必需品を買う、という庶民である。

 ヒロインは、手乗りタイガーこと逢坂大河。竜児のクラスメイトの女子高生。小さな背格好に栗色の長い髪、大きな瞳に整った唇。微笑むだけで周囲を幸せにするような、天使のような容貌である。ただし、胸だけは小さい。

 だが、大河は凶暴で、肉親とも断絶状態。母親は娘を置いて家を出奔し、父は愛人と暮らすために娘を追い出した。一切の家事ができずに、コンビニがなければ生きていくこともできない生活無能力。そのうえ、傍若無人で常時バーサーカーなセレブである。

 そんな二人が、協力しあって互いの恋を実らせる。それが『とらドラ』という小説である。作者の竹宮ゆゆこはラブコメの名手で、お約束の流れを綺麗に展開する天才である。人間の複雑な感情を「好き」や「嫌い」など単純化しがちなラブコメにおいて、元の複雑さをそのまま引き写すことが竹宮ゆゆこの上手さである。

 ところで、いわゆる属性として一番有名なのが、ツンデレである。通常はツンツン・冷たいのだけど、稀にデレデレ・甘えてくるという性格パターンである。多くのオタクはなんだかんだでツンデレ好きで、俺も好きだ。というか、釘宮がいて患者にならないオタクがいるのだろうか。

 そんなオタクが大好きなツンデレだが、悲しいことに、現実ではあまりお目にかかれない存在でもある。ほとんどの女性は初対面の人には優しく接し、仲良くなるごとに扱いがぞんざいになる。そういうものである。これを性格パターンとして表せば、デレツンである。だからこそ、オタクにとってデレツンは「萌えない」と思われてきたのである。

 しかし、『とらドラ』の川嶋亜美は常識を覆した。デレツンでありながら、見事に可愛らしい。誰にでも愛想を振り撒くミセカケの状態ではなく、自分にだけさらすブッキラボウな素顔を見る。これがトゥルーエンドであることを、俺に理解させたのである。

 そう、デレというのは「好き」とか「愛してる」とか、手料理を作ってくれるという状態だと思ってしまいがちである。それが愛情だ、と。それも間違ってはいない。ただし、デレとはそれだけではない。あえて、気の抜けた状態を見せたり、取り繕わない姿を見せる。それは信頼であり、デレなのである。

 『とらドラ』の川嶋亜美。それは新たな地平である。そして、それは同時に原点回帰でもあるのだ。
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■2008/01/13(日) 『えっちーず』に見るマンガ表現の多様性 このエントリーを含むはてなブックマーク

えっちーず (ワニマガジンコミックス)
えっちーず:陽気婢


 マンガ表現は懐が広い。上のコマを見て、つくづくそう感じた。これは陽気婢『えっちーず』1巻の「デュアルナルシス」という回の一コマである。

 陽気婢先生は、藤子先生曰く「すこしふしぎ」な話と軽めのエロを絶妙にブレンドさせるマンガ家である。絵柄は少し古めだけど、丸くて柔らかい線が特徴的だ。『えっちーず』はそんな陽気婢先生の個性がはっきりと表れた短編集になっている。全五巻。

 「デュアルナルシス」も、たぶんに漏れず、不思議でえっちな話になっている。主人公の兄妹は双子なんだけど、一つの意識を共有している。作中の言葉を借りると、「一個の自我で二つの身体を操縦してる」ということになる。

 彼らは一つの意識しかないことを周囲に知られないよう、常日頃から細心の注意を払って生活している。一人は大食いで、もう一人は小食。一人は活発で、一人は大人しめ、など。一つの意識で二つの身体を別々に操るのは、一人で二つのラジコンを操るようなもの。自然と疲れが溜まる。

 ちなみに、彼らは中学生(高校生?)。性に関心のある年頃。というわけで、男の身体と女の身体を使って、セックスを楽しんでみたりする。しかし、自分で自分とセックスをするのだから、結局オナニーには変わりない。そこで、二人は新鮮な感覚でセックスをするために、恋人を探してみるのだが……。

 以上が、「デュアルナルシス」のあらすじになっている。そして、冒頭の画像が兄妹の視界を表したコマである。たった一コマだけれども、非常に的確に彼らの状況を表現している。二つの楕円のくっついた形は、人間の視界を意識させる。それ二つが同じコマに描かれていることで、二人の視界が共有されていることも明確に分かる。

 さらにいえば、彼らの見ている先はそれぞれ違う場所だ。片方は女子二人組み。これは妹の友人だろう。もう片方は無精ヒゲの男子で、これは兄の友人だ。同じ意識を共有しながら、兄妹がそれぞれ別の人間関係を構築していることも分かる。

 そこで、冒頭の言葉に戻る。マンガ表現は本当に懐が広い。たった一コマで、通常なら説明に困る状況を簡単に理解させてしまう。こうやって文章にしても理解されないだろうことでも、直感的に分からせてしまうのだ。
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■2008/01/12(土) リアルとファンタジーの混合 このエントリーを含むはてなブックマーク

新吼えろペン 1 (1) (サンデーGXコミックス)

真・業魔伝書庫のLITさんの企画に乗ってみます。『吼えろペン』についてテキストを書け、ってヤツですね。

 まず、『吼えろペン』の大まかな解説をしてみましょう。『吼えろペン』は小学館のサンデーGXに連載中のマンガで、人一倍熱いマンガ家として有名な島本和彦先生の作品です。過去に『燃えろペン』という作品がありまして、そのリメイクというか続編とも言えます。

 主人公の炎尾燃は連載を何本も抱える売れっ子マンガ家。地方サイン会にまで足を運ぶ熱心なファンがいる一方で、大ヒットを飛ばしたこともない。中堅のベテラン作家という位置付け。彼が編集者やマンガ家、ヒットマンや宇宙人と戦いながら、必死に締め切りも守る。コメディマンガとなっている。

 この作品を語る上で挙げるべき点は三つある。リアリティを持たない絵柄、現実感のある台詞、虚々実々入り乱れた世界観である。この三つの絶妙なバランスによって、『吼えろペン』は非常に面白いマンガになっている。

 最初に、絵柄について書こう。島本和彦の絵柄にはリアリティというものがない。それは作中で先生自身が認めていることもである。ギャグタッチで描いている場面にリアリティがないのは当然だが、劇画や写実を心がけている場面ですら、リアリティがないのだ。これは画力ではなく、絵柄の質によるものだろう。ほぼあらゆるものをそれらしく描くことに成功しているが、本物の実在感はないのだ。しいていえば、食品サンプルのような絵柄だ、と言える。

 次に、台詞について。島本和彦の台詞にはファンタジーがない。どのような場面のどのような台詞であっても、常に現実感がついて回るのだ。それは『スカルマン』のような非現実を舞台にした作品でもそうだし、『逆境ナイン』のように現実を意識した作品でもそうである。どの作品でも荒唐無稽でありながら、実も蓋もない台詞なのだ。島本和彦の台詞は地に足がついている。

 最後に、世界観の話をしよう。あらすじにも書いたように、このマンガは荒唐無稽なコメディとして作られている。ヒットマンや宇宙人、未来人までもが登場する。その一方で、毎週毎月締め切りに追われ、ろくに家から出られないなど現実を映したような設定もある。ファンタジーとリアルが奇妙に混在した世界である。

 『吼えろペン』は、島本和彦の旧作『逆境ナイン』や『無謀キャプテン』などと比べても、明らかにリアルな世界である。しかし、そこに使われているファンタジー要素の多さも、やはり旧作に類を見ないほどである。『吼えろペン』は島本和彦の作品の特徴であるリアルとファンタジーの一体化を、非常に推し進めた作品なのだと言える。
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■2008/01/11(金) マンガ読まず嫌い王選手権 このエントリーを含むはてなブックマーク

 これから四つのマンガのレビューをします。三つは好きな作品、一つは苦手な作品。苦手な作品を当ててみましょう。そういう企画です。発端はだんげさんのmixi日記にあった、「読まず嫌い王選手権」です。

 だんげさんの日記では150字程度のレビューということでしたが、もうちょっと長めでやってみました。お暇な人は「これが苦手な作品なんじゃないか?」と考えてみて下さい。さらに、お暇な人はご自分のサイトでもやってみると面白いかもです。その時はリンク張らせて頂きます。

Kiss×sis 1 (1) (KCデラックス)

 まず、1作目は講談社・ヤンマガで連載中の『キスシス』。2巻を店頭で見かけて、勢いで揃えてしまいました。受験生の主人公と双子のお姉さん。幼い頃から仲の良かった三人は将来結婚の約束をしていまして、お姉さんたちは今でも約束を果たそうと必死なわけです。

 例えば、弟のベッドに潜り込むなんて日常茶飯事。「朝勃ち見られて、恥ずかしい!」なんてレベルじゃなく、「朝からキスされて、モノをにぎられちゃった」りするんです。腕を怪我した弟の背中を流すために、なんと全裸でちん入です。

 『To LOVEる』ってあるじゃないですか。ジャンプのパンチラ&おっぱいマンガと言われ、単行本では乳首が追加されることで有名な、アレです。『ToLoveる』は決して一線越えません。見えちゃいけないところが見えて、ドキドキ。ドキドキ感を味わうマンガです。

 ところが、『キスシス』は違います。このマンガは本当に一線を越えてもおかしくない。むしろ、最終回までには必ず一線を越えるだろう、と推測・期待できてしまうのです。見えないドキドキではなくて、してしまうかもしれないドキドキ。それが『キスシス』の面白さですね。

たかまれ!タカマル (1) (Beam comix)

 2作目は、ファミ通で連載中の『たかまれ! タカマル』です。これも去年の暮れに全巻衝動買いしてしまった作品です。当時の最新刊だった12巻を読んだ時、僕は悲嘆にくれました。こんなにうらやましく、楽しそうな生活を見てしまって、自分はこれから生きていけるのだろうか、と。今までにもごくまれにあったんですが、マンガを読んで絶望に浸るのは久しぶりでした。

 このマンガの主人公・タカマルは15歳。高校の新生活に期待をふくらませ、夢中になれる何かを探して部室棟を歩き出したのが始まりでした。部室の扉にSMLという見慣れぬ単語を目にし、うっかりとノックしてしまったのが期待した高校生活の終わりでした。

 その日から、タカマルの一週間のうち7日間は働く、激務の生活が幕を開けたのです。SMLは隔週でゲーム雑誌を作る部活で、タカマルは戦力として確保されてしまったのです。ただ、悲しいことばかりでもありません。部には小さくて凶暴な少女やふっくらとして優しいお姉さん、冷静で頭の切れるクールビューティ。そして、クラスにはアイドルを目指す元気な美少女がいたのです。タカマルのフラグ人生も同時に始まった、というわけです。

 はっきりいって、美味しすぎるんです。どの女の子もキャラが立っていて、メインヒロインとしてお迎えしたいくらいなんですよ。マンガだとトゥルーエンドは一つっきりしかないじゃないですか。ハーレムルートもなければ、自分でキャラも選べません。ぜひ、このマンガはギャルゲとして出していただきたい。特に、ツンデレで凶暴なロリっ娘のももちゃんルートは必須ですね。

BAMBOO BLADE (1) (ヤングガンガンコミックス)

 次なら作品は、最近大人気の『バンブーブレード』。こちらはスクエニから出ているヤングガンガンの連載ですね。ヤングガンガンは『WORKING!!』や『カノジョは官能小説家』など、レベルの高い作品が多いんですよね。

 男が友人と賭けをするところから、お話は始まります。一人の男は金に困り、生活するのもやっと。もう一人の男は、過去に負けたことを未だに根に持っています。そこで、食料とプライドを賭けた、剣道勝負が決まったのです。自分たちの事情を生徒に押し付ける形で。

 無口系っていうジャンルがあるんですよ。どこから始まったのか知らないんですが、僕が一番記憶に残ってるのは、ちょうどリアルタイムだった『新世紀エヴァンゲリオン』ですね。『エヴァ』には綾波レイという少女が登場して、この娘が喋らない喋らない。押し倒されても、「どいてくれない」の一言です。

 普通に考えると、こんな娘に惹かれるわけないんですよね。でも、僕らは普通じゃありませんでした。だって、オタクですから。綾波に心底ハマり、その流れを受け継ぐ『軌道戦艦ナデシコ』のルリにはまり、『みなみけ』の千秋にハマるわけですよ。

 微妙に変化しつつも、ぶっきらぼうで不思議な無口少女の流れを持つのが、『バンブーブレード』のタマちゃんです。感情の変化を全く表情に表さず、心の中では正義の味方に憧れる。本気でなろうと信じる。そんなタマちゃんにメロメロなんです。

みなみけ 1 (1) (ヤングマガジンコミックス)

 最後の作品は『みなみけ』です。こちらも講談社のヤンマガで連載中のマンガですね。アニメのオープニングを借りれば、「平凡な日常を淡々と描いた」作品ということです。けども、こんな日常、僕は見たことないですよ。

 長女・ハルカ、次女・カナ、三女・チアキの南家三姉妹がアパートの一室に暮らしています。ハルカが中学で番長として名をはせたり、カナがホットケーキにフルーツ缶詰を入れて焼けなくしたり、チアキが黒雲にお願いして雨を止ませたり。可愛い女の子たちが、ありそうでなさそうな生活を送る。そんなマンガなんです。

 で、ですね。僕が推したいのは無口系少女のチアキでもなければ、あほのこカナでもないのですよ。この作品で一番可愛いキャラ。それは女装少年マコちゃんです。マコちゃんはチアキのクラスメイトなんだけど、チアキに嫌われちゃってるのです。だから、南家には女の子のマコちゃんとして忍び込まなきゃいけないわけです。

 女装少年っていいですよね。こう、なんでもアリなんですよね。例えば、お姉ちゃんの格好に憧れて着てみちゃった。男の子を好きになったから振り向いてもらいたくて。女友達にイタズラで着せられちゃった。事情はどうあれ、そこには恥じらいがあって、恥じらいこそ可愛さなんですよ。

 マンガでのマコちゃんも可愛くていいんですが、アニメのマコちゃんも最高でした。より完璧な女装のためにブラジャーを買いに行ったりするんですよ。大好きなハルカと個室で二人きりになって、あるはずもない胸を揉まれちゃったりするんですよ。いいですよね、女装少年。

 というわけで、以上4つが僕の提出する作品です。3作は大好きなマンガで、1作は苦手なマンガです。どれでしょうか?

 追記:リクエストがあったので、答えを書いておきます。以下を反転して下さい。

 答え:『バンブーブレード』

 理由:タマちゃんは好きだけど、マンガ自体が好みではないから。
     ガンガンらしい行き当たりばったり感が強いです。

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■2008/01/10(木) 萌えオタクにこそオススメしたい一品『夢源氏剣祭文』 このエントリーを含むはてなブックマーク

夢源氏剣祭文 第1集 (1) (キングシリーズ 刃コミックス)

 今日オススメしたのは、この商品。『夢源氏剣祭文』。こちら、小池一夫先生の原作を皇なつき先生がマンガ化した一品。本格時代小説を美麗で骨太な絵で物語られたら、つまらないわけがない。

 まずもって書きたいことは、お話について紹介する気は毛頭ないということである。何故なら、時代小説なんていうものは、面白いに決まっているからである。最近はエンタメ小説だのライトノベルだのと言われているが、時代小説というのはそれらよりもっと蓄積のある娯楽小説である。

 例えば、キャラクター小説という観点から見ても、時代小説はライトノベルに引けを取らない。ライトノベルに登場するのは一個人が頭の中だけで作り出したキャラクターであって、その斬新さや小回りの勝手さは目を見張るものがある。だが、時代小説の場合、しばしば実在する人物がキャラクターとして使用される。史実の人物というのは姓名から家柄、数十年間の細かな人生から死に至るまで、ほとんどが綿密に知られている。自由度に関しては劣るかもしれないが、その膨大な情報は存在だけで圧倒的なリアリティを持っている。

 もっと具体的に書けば、司馬遼太郎先生の物語は壮大なファンタジーとして見ることが十分に可能であり、隆慶一郎先生の作品は冒険活劇やバトルアクションといえる。そして、両先生の作品はどれも当然のように面白い。時代小説というのは面白いことが自明のジャンルだ、というのが俺の結論である。だから、『夢源氏剣祭文』についてもストーリーについて触れる気は一切ない。

 さらにいえば、絵の美麗さについても殊更に触れる気はない。確かに、皇なつき先生の絵は美しい。繊細でありながら、骨の太い。幻想的だが、実在感のある素晴らしい絵である。しかし、それも自明のことである。そんなことは上の表紙を見ても明らかだ。そう、ニコニコ動画風に書くならば、「なんだ、ただの神か」というヤツである。神が天才的で、背の痺れるような絵を描くことは当たり前である。だから、それについても書かない。

 自明のことについて書かないのには、ワケがある。話の面白さや絵の素晴らしさについて触れても、新しい読者を増やすのは難しいからである。確かに、この文章を読むまで『夢源氏剣祭文』を知らなかった人は買ってくれるかもしれない。しかし、知っていたけれど買わなかった人は、話や絵について説明されても買わないだろう。だから、自明なことは書かない。

 俺が書きたいのは、主人公の少女・いばらきである。父親は功を得るため戦へ行き、母親は父を追って都へ旅立った。母は長い旅の途中に行き倒れ、娘を遺して逝く。旅路の途中で放り出された四つの娘。それがいばらきである。

 このいばらきが、メチャクチャ可愛い。ぷっくりした頬、凹凸のない身体。ザンバラの髪に心を緩ませる笑顔。あどけない仕草と時おり見せる気の強い眼。どれを取っても一級に愛らしい。素晴らしい美少女。いや、美幼女なのである。

 俺も萌えのストライクゾーンは広い男である。極度にデフォルメされた『苺ましまろ』や正統派の『みなみけ』はもちろん、『うしおととら』の日輪に高野文子まで、ほぼ何にでも萌えられる自信がある。意図してそうなったというより、多くのマンガを読んだ結果、鍛えられていった成果であろう。

 そんな数多くの美少女キャラを見てきた俺が言うのだから、間違いない。いばらきは、未だかつてない美幼女である。横のベッドに眠り込んでいるのをた易く想像できるだけの実在感がありながら、現実にはこんな娘は存在しないだろうと確信させるだけの可愛らしさをも持っている。

 はっきり書こう。萌え系のマンガが大好きなオタクこそ、このマンガ『夢源氏剣祭文』を買うべきだ。
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■2008/01/09(水) 少女マンガは好きだけど、表せない このエントリーを含むはてなブックマーク

 少女マンガは好きだが、語れない。読んで楽しい。頭のどこかで面白い認定をする。買ってよかったな。そう思う。ただ、何故面白いのか、言語化できない。何がどう楽しかったのか、言葉に表せない。俺が男だからかもしれない。

 共感ではない。キャラクターに共感できることは滅多にない。脇役にすら、共感することがない。少女マンガの男性キャラは、自分が男に抱いているイメージと違いすぎるからだ。むろん、女性キャラになどもっと共感できない。

 物語に盛り上がりを感じるわけでもない。少年マンガのようにアクションやバトルがあるわけでもなければ、冒険の旅に出るわけでもない。青年マンガの熱さやオタク系の萌えがあるわけでもない。それらに比べれば、少女マンガはむしろ平坦な物語だといえる。

 自分でも何が良いのか。面白いのか。まるで、言葉にできない。ただ、楽しい。それだけ。自分の感覚の中で、一番近いものは友人や知人の話を聞いている時のものだ。親しい友人でもいいし、初対面の人でもいい。極端な話、2chの書き込みなどでも構わない。

 今日電車でこんなことがあった。小さい頃に、叔父さんと旅行に行った。本屋でこういうマンガをよんだ。バイト先の友達があんな体験をした。そういった話を人から聞く。サスペンスばりに盛り上がる話もあれば、特にこれといった波のない話もある。ただ、それらを聞くのは、結構楽しい。

 それがよほどのウソでない限り、それが真実である必要はない。ちょっとしたことがゆがめられているかもしれない。誰かの主観が入ったお話は、元の事実と違っているかもしれない。それでもいい。そのゆがみや主観こそが、人から伝わる話の面白さだ。

 俺にとって、少女マンガの楽しさというのは、それに近い。誰かの噂や体験談を伝え聞く感覚。話半分に、それでも信じて、エピソードを聞く。その楽しさ。

片恋の日記少女 (花とゆめCOMICS)

 中村明日美子『片恋の日記少女』が楽しかった。今月出たばかりの新刊で、今作は耽美ではない、短編集となっている。女性に体を変えた元男・満のアパートに、突然父が訪れる。満の彼女として二週間を父と過ごすが、父が満に気がつく様子はない。そして、すれ違いのまま、父は実家に帰るのだが。

 中村明日美子のキャラクターは鶏に似ているな、と思う。それも、白い羽に赤いトサカのついた鶏。足の先端がとても細く、下腹部から腹、胸に至る中で丸みを帯びて膨らんでいく。全身は不思議に白く、髪の毛だけが特徴的に浮いている。

 その一方で、顔だけを見れば、キャラクターは金魚のようにも見える。大きな顔と丸い瞳、大きな口と余白。ほとんどのマンガは同じ構造をしているけれども、中村明日美子の絵だけは金魚に見える。たぶん、顔の大部分を占める余白がそう見せているのだと思う。

軽薄と水色

 かわかみじゅんこ『軽薄と水色』も面白かった。最近のものばかりなのは、旧作の名作に俺の語る余地はないから。新作なら少女マンガファンの方にとっても、買うかどうかの情報源としてまだしも価値があるだろう。

 こちらも短編集なのだけど、この中の特に「エバ・マリー・アダム」という話が好き。小説家を目指して悪戦苦闘する、そろそろ若くもない男。出来そうにないことは挑戦できないが、日々の退屈には十分に耐えられる女。

 ヒモを自覚する男とヒモを許容する女の、微妙なやりとり。ハリネズミのジレンマとは少し違うけれども、互いに互いの痛い部分を傷つけあう。そして、相手を傷つけることにも、傷つけられることにも、痛みにも慣れてしまっている。

 どちらも、何が面白いのか、ということを書くことはできない。結局、ただ俺が好きとしか書けない。それでも、読んで損はない一作だと思う。興味のある方は、ぜひ一度手に取ってみることをおすすめする。
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■2008/01/08(火) 愛のあるエロはエロい このエントリーを含むはてなブックマーク

あくまでも「エロマンガ好き」な人に向けての「キャノン先生トばしすぎ」のススメ。 - たまごまごごはん
ゴルゴ31から。

 愛のあるエロが書けるのは、マンガか小説しかない。これは一つの真理である。何故なら、ドラマや映画など生身の人間が愛を表現することもできるが、それは役柄の中においてのみである。本来的に愛のない男女が完全なる愛を体現できるはずがない。

 ごく一部の例外として、愛のあるエロを商業ベースに乗せられる人間もいる。例えば、互いに声を掛け合うだけの音源を発表したジョン・レノンとオノヨーコがそうだ。愛のあるエロを発表することは物理的には容易なことである。ただ、精神的に困難が伴うだけだ。

 まず、ほんのすれ違いのセックスに真の愛があるだろうか。ないとは言い切れないが、それは珍しいだろう。相手の現在だけでなく、過去や未来をも受け止めてこそ、愛を育むことができる。ごく瞬間的なものではダメなのだ。

 しかし、現在や過去、未来までをも受け止めざるを得ない二人が、そのセックスを堂々と外部に晒すことができるだろうか。仮に二人が別れたとなれば、後々悲惨なことになるのは目に見えている。別れなかったとしても、その後の社会生活や子供のことなど問題は山積みだろう。

 整理すると、ドラマや映画などでは偽りの愛しか描くことは出来ない。生身の人間の演技には残念ながら、限界がある。そして、愛し合う二人のセックスを発表することは物理的には可能だが、精神的には難しい。つまり、現実世界では愛のあるエロは書けないのである。

 だからこその、エロマンガであり、エロ小説である。マンガは描いたものしか表現されない。マンガ家が意図して書いた線やベタ、トーンのみが作品に表れる。エロ小説も、そうだ。作家の書いたもののみが原稿の上に表れる。三次元は無意識に愛のなさを表現してしまうが、マンガや小説は無意識というものが極限まで排除されるのである。

キャノン先生トばしすぎ 初回限定版 (XOコミックス)

 『キャノン先生トばしすぎ』は本当に素晴らしい作品である。もちろん、一話ごとにテーマを変えたセックスは素晴らしい。アナルやコスプレ、自慰など毎回ネタの違うセックスというのは、大変ありがたい。性的な意味で。

 ヒロインであるキャノン先生は、顔も体型も設定も完全なる小学生であり、ロリコンとして非常にそそられるものがある。さらにいえば、痴女さながらの言動や行動をしながらも、恥じらいを失わない姿勢や主人公に一途な姿も素晴らしい。

 それに、第一話から最終話まで随所に張られた伏線や主人公のエロマンガにかける熱意など、一貫した物語展開はストーリーマンガさながらである。エロマンガでもしばしば精神病や無気力などの問題は描かれるが、セックスがそれらの病を治す処方として描かれてしまう。

 しかし、『キャノン先生トばしすぎ』では、主人公の鬱屈した精神を晴らすためにセックスが使われることがない。むしろ、その精神を晴らしたからこそ、明るく楽しくセックスができる。つまり、愛が育まれているからこそ、セックスという流れがあり、非常に素晴らしい。

カノジョは官能小説家 1 (1) (ヤングガンガンコミックス)

 『カノジョは官能小説家』も愛とエロをテーマにした作品である。この作品では、スランプに陥った美人官能小説家を新人編集者が口説き落とし、立ち直らせる。作家のスランプの原因は愛のないセックスしか書かれていないエロ小説が人気を博し、ちまたに溢れる絶望だった。

 例えば、作家は「SMなんて男が女を道具扱いするだけの代物だ」とこき下ろす。それゆえか、作品の人気は今一つ。そこで、編集者は普段は攻めることしかしない作家を椅子に座らせる。そして、言葉や目隠しによって彼女を攻めるのである。

 初めて人から攻められた彼女は、攻められる快感を知り、そこに愛を感じ取る。一方は攻め、一方は攻められる。そういった関係であっても、一方的ではない。そこには愛が通っているのだ、と。これは作家と編集者の間に愛があったからこそ得られた快感でもある。

 エロいセックス描写に必ずしも愛があるわけではない。だが、愛のあるセックスは必ずエロいのである。愛情が溢れているからエロいのだ、などとロマンチックなことを言うつもりはない。愛の溢れる仕草や所作は生々しく、そこに読者がエロを感じ取るからである。
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