『スティール・ボール・ラン』最新刊でデジャヴしたので、比べてみる。
まず、これ(↓)が最新刊。

主役の一人であるジャイロ・ツェペリは正面を見つめながら、右手で天を指差している。それらしく考えてみれば、前を向くことで自分にできることに全力を尽くす姿勢を、指を突き上げることで天上から来る奇跡を暗示しているように見える。
対照的に、もう一人の主役、ジョニー・ジョースターは空を見上げながら、指は地面を示している。ジョジョでは死人がしばしば空に描かれる。だから、この場合の空は彼の死んだ兄であり、その高潔な意志をも示しているのかもしれない。そして、指は動かない下半身であり、それに象徴される精神的な闇だあろう。
三番目のマジェント・マジェントは左を向き、右手で銃を突きつけている。もう一方の手も銃を握り、地面に向けられている。これはジャイロのように前ではなく、ジョニーのように天でもない、俗物的な彼の精神を示している。銃は相対する敵や地面に横たわる死人には向けられても、天の意志を見ることはできていないということかもしれない。
一番後ろに立つウェカピポは正面を見据えてはいるが、自分の両手で耳を塞いでいる。前に進む意志はあるのだけれども、そのための情報を受け入れようとしない。彼の閉ざされた精神のありようなのだろう。
で、最新刊の絵(↑)を見て思い出したのが、これ(↓)である。

これは『ジョジョの奇妙な冒険』第四部の表紙である。41巻は吉良吉影が承太郎や康一と対決し、顔を変えて逃げ延びた後くらい。この後に、吉良吉影は丈助と対決し、打ちのめされ、第四部は終了する。だから、41巻というのは中盤終わって、後半戦過ぎた辺りなわけである。
この表紙(↑)には、第四部の主要なキャラクターが勢揃いしている。そして、みなで揃って、天に指を向けている。この天とは言うまでもなく、正しい意志のことであり、正義のことである。それはジャイロが指差し、ジョニーが見つめているものと同じである。
荒木飛呂彦は、自分の作品は人間賛歌である、と常々語っている。彼の作品には様々に形を変えた悪が登場する。一部のように、貧困が生んだ悪であるディオ。二部には、生まれついて人類の悪としかならない生物であったカーズ。三部は人間だからこそ持ちえる邪悪な意志のDIO、四部は日常に潜む醜悪な殺人鬼・吉良吉影。五部は自らの身勝手な論理を力で押し通すディアボロ、六部は自らの行動を正義と疑わないプッチ。
では、これらの多様な悪に対して、色々な正義が説かれるかというと、そうでもない。マフィアになることで悪を制するジョルノや何が正義なのかと悩むジャイロのように、その過程は様々あっても、その結論は一つ。それは黄金の精神である。
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