女性キャラも重要ですよ? それだけで、その作品が面白いかどうかを決める。言うなれば、料理でいえば、中華かイタリアンか、はたまた和食か。それくらに重要なのは女性キャラですよ。なんというか、エロマンガの九割くらいは女性キャラが魅力的かどうかにかかってるわけですよ。
その上で。その上で、男性キャラの重要性を語ってみたい。具体的に書くとですね、男性キャラが良いか悪いかで、その作品が「使えるかどうか」が決まると思うんですよ。だって、ものすごく可愛い女性キャラでも、絡んでる男が最低だったらやってられないじゃないですか。
この場合の「良い」というのは、「善い」ではないんですよ。つまり、男性キャラが善人であるか悪人であるか、ではない。それに、その男性キャラがイケメンであるか、ブサイクであるか。それでもない。ただ、ひたすらに、良いかどうか、なんです。
なんでしょうな。例えば、純愛モノで主人公の男性が最低の男だったら、それはものすごくむかつく。空き缶のポイ捨てするような最低男が可愛い女の子に奉仕されてるマンガなんか、いくら女の子が可愛くても腹立たしいだけじゃないですか。
そういう意味では、男がどんなに鬼畜な行いをマンガの中で行っていようと、いいんですよ。エロマンガにおける性行為では、何が起ころうと許容するんです。エロマンガの主眼とはエロであり、エッチなわけです。その点において、男が何をしようといいんです。
 J・R :あわじひめじ
例えば、あわじひめじ先生の男性キャラは最低です。人間としては、最底辺に位置するような、犯罪者かりです。そもそも、ロリ鬼畜というジャンルにおいて、善人なんか出てくるわけもありません。でも、良いんです。そこに出てくる男たちは善人ではないけれど、それは許容できるのです。
この複雑な基準。ある種の犯罪は喜んで容認しながら、ある種のマナーの悪さは受け入れられない。つまり、エロければエロいほどよく、そのためには何でもするのだけれど、しかし、マナーが良い。そういう矛盾とも取れる男性キャラが「使える」エロマンガの要だと思うんですね。
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