四コママンガの自由度の高さは、エロマンガに匹敵するものがある。自由度といっても、その内容は様々だ。青年誌で連載中の『シグルイ』では首が切り落とされても、内臓がデロリとはみ出しても、規制はかからない。少年誌の『ハンター×ハンター』では、切断された首がモザイクや黒線で隠される。例えば、そういった表現の自由度という高さも考えられる。
ただ、ここで俺が主張する四コママンガの自由度は表現に関するものではない。題材についてのものだ。ストーリーの成り行きについて、と言ってもいい。他のマンガでは考えられないような設定や展開、終わりを迎えるものが多々ある。

例えば、『シスコなふたり』がそうだ。売れない写真家でライター仕事もやっている主人公が、取材で雑貨屋を訪れる。快活な店員に一目惚れした彼は、彼女に果敢にアタックする。付き合い始めると、じょじょに彼女はお姉ちゃん大好きな超シスコンであることに気付いていく。彼女のシスコンを治し、自分だけを見てもらおうと奮闘するのだが、気が付くと彼は姉の方にも魅力を感じてしまっている。
少年誌や青年誌、少女マンガ誌でも、上のような設定であれば一般的に三角関係のドロヌマが展開されていく。コーラを飲むとげっぷが出るくらい、当たり前のセオリーである。何故ならば、世間で共有される倫理観に基づいて話を進めようとすれば、男と姉妹の三人が無理なく絡める展開はそれ以外にないからである。
しかし、四コママンガでは違う。このセオリーが通じない。『シスコなふたり』では、なんと姉妹が二人とも彼女になる、というハーレム状態にたどり着くのである。好きなものは二人で共有してきたから、彼氏も共有というのである。男は姉妹二人に魅力を感じているし、姉も妹も男に恋するようになっている。この心の動きがごく自然なことであるように描かれる。そう、ようするに、公式姉妹丼なわけだ。
『シスコなふたり』に限らず、四コママンガは倫理観にとらわれない作品が妙に多い。突飛な展開を、さも当然のことのように描いてしまうのである。しかも、それらはしばしば現実を反映したノンフィクションの作品であったりもする。それを考えると、物語よりも現実の方が倫理観にとらわれていないのではないか、と感じることもある。
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