 ONE PIECE:尾田 栄一郎
『ワンピース』は実に隙のない構成をしている。それは面白いとはまた違った魅力であり、ジャンプの中では『ワンピース』だけが持っている、強力な武器である。それは読者を傷つけないという明確な意思の表れである。
もちろん、ストーリーも大枠としては面白い。最近明かされつつあるバックグラウンド、伏線の数々は作品が統一した物語に基づいて作られていることを明示している。裏表がなく、気ままに生きるだけに見えたルフィにも実は秘密があり、それは世界全体にも関係している。
古今東西、さまざまな物語はあるけれども、それらの中で主人公と世界という組み合わせが読者を興奮させないことがあるだろうか。やはり、主人公は凡人であって欲しくはなく、世界をも揺るがすような存在であって欲しいものだ。
だが、物語としてより重要なことは、各所のストーリーに卒がない点なのである。『ワンピース』は旅物語であり、ご当地のキャラクターと問題を解決する。水戸黄門に寅さんを足して、007を混ぜたような構成になっている。物語構造そのものに好みはあるが、そこには不快さがない。
ご都合主義であるとか、矛盾点があるだとか、そんな部分は真に重要な点ではない。マンガを読む中で一番に重要なことは、気分が良いこと。快感に浸れることである。小難しかろうと、明快だろうと、不快ではダメだ。そのためには、卒のないストーリーが必要になってくるのである。
お涙頂戴であろうが、金太郎飴だろうが、そんなことは構わないのである。長く厳しい旅を演出するためには相応の時間が必要となってくるし、そのためには連載期間が延びるのもやむをえない。だからこそ、途中の旅は画一的だろうと、不満はあっても、不快にはならない構成であることが必須である。
例えば、作者である尾田栄一郎は「キャラクターを殺さない」ことを掲げている。亡くなった知り合いや回想シーンでの登場はあるものの、ストーリー上で死者は決して出さない。あれだけの戦いを繰り返していながら、ルフィ一行は誰一人として殺していない。それは戦闘ではあっても、死闘ではないのだ。
それは「なまぬるい」と批判され、「おままごとのようだ」と揶揄されることもある。確かに、そうした点においては、現実味を欠いていると言わざるをえない。しかし、そもそも、マンガにリアリティを求めていること自体が馬鹿げている。
『ワンピース』は現実的な感覚や常識と思われる法則をあえて否定してでも、読者が不快に思うようなことを除いているのである。作品作りにおける、その明確な態度こそが、『ワンピース』の核であり、面白さなのである。
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