ミスター・サタンを英雄にしたもの:やまなしなひび−Diary SIDE− カトゆー家断絶から。
ちょっと思ったんですが、悟空たちはハイレベルな戦いをし過ぎているんですよ。彼らの戦いがあまりにもハイレベルなもので、一般人にはついていけないんじゃないでしょうか。例えば、悟空とジャッキー・チュンの最終局面で、彼らは空高く舞い上がり、空中戦を繰り広げます。
ごく一部の人は戦いの様子を見ることができたでしょう。双眼鏡を用意していたり、異様に視力が良い人ですね。たぶん、そういった恵まれた人のほとんどは参加者、関係者でしょう。普通に試合を見に来た一般人の人たちは試合の様子がさっぱり分からなくて、悟空たちが消えて、いきなり落ちてきたように見えたんじゃないですかね。
このまま天下一武道会が回を重ねたら、お客さんは減っていく一方でしょう。だって、何が起きてるんだか、さっぱり分からないんですもん。いきなり気弾が飛んできて死にかける危険はあるのに、ハイレベル過ぎて戦いの様子は全然分からない。そんなものを見に行ったりはしないんじゃないかなぁ。
ミスター・サタンの偉いところは、ハイレベルすぎた戦いをテレビ映えする形に作り直したことです。お客さんの見える場所で、お客さんの見えるくらいの速さで、お客さんに分かりやすい戦いをしてみせるんです。気弾や舞空術なんてわけのわからないものも、トリックということで納得させます。
もちろん、ミスター・サタンの行ったりやったりすることはインチキなんですよ。勝利を金で買ったり、シリアスな戦いをエンターテイメントのように映し出したりします。でも、テレビを見ている人、彼の試合を見に来た人は、わけのわからない戦いよりも分かりやすいコンテンツの方が楽しいわけです。
例えば、テレビ番組全てがお堅いドキュメンタリーになったら、格調は高くなりますけど、テレビを見る人は激減すると思うんです。全く事実だけで作られたつまんない番組よりはヤラセもあるけど面白いバラエティの方が楽しいし、見る人も多いでしょう。インチキが放送を支えることで、本物のドキュメンタリーなんかが放送する枠を確保しているのです。
ミスター・サタンのやってることも、これに近いんだと思います。悟空やベジータが天下一武道会で競い合ってても、格闘人口は減る一方だったんじゃないですかね。分かりやすくて楽しい武道をやってくれるから、ミスター・サタンは人気があるのです。そして、人気を取っていたからこそ、地球に住むみんなから元気を分けてもらうこともできたわけです。
一言でいったら、インチキにはインチキなりの価値がある。いや、本物やインチキという分け方もおかしくて。強い弱いだけでは決まらない、価値もある。ほとんど「勝ったもの勝ち」という流れで進んでいた『ドラゴンボール』が、最後に「強いだけでは決まらない」ということを描いていったんだろうなって思ってます。
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