
今日オススメしたのは、この商品。『夢源氏剣祭文』。こちら、小池一夫先生の原作を皇なつき先生がマンガ化した一品。本格時代小説を美麗で骨太な絵で物語られたら、つまらないわけがない。
まずもって書きたいことは、お話について紹介する気は毛頭ないということである。何故なら、時代小説なんていうものは、面白いに決まっているからである。最近はエンタメ小説だのライトノベルだのと言われているが、時代小説というのはそれらよりもっと蓄積のある娯楽小説である。
例えば、キャラクター小説という観点から見ても、時代小説はライトノベルに引けを取らない。ライトノベルに登場するのは一個人が頭の中だけで作り出したキャラクターであって、その斬新さや小回りの勝手さは目を見張るものがある。だが、時代小説の場合、しばしば実在する人物がキャラクターとして使用される。史実の人物というのは姓名から家柄、数十年間の細かな人生から死に至るまで、ほとんどが綿密に知られている。自由度に関しては劣るかもしれないが、その膨大な情報は存在だけで圧倒的なリアリティを持っている。
もっと具体的に書けば、司馬遼太郎先生の物語は壮大なファンタジーとして見ることが十分に可能であり、隆慶一郎先生の作品は冒険活劇やバトルアクションといえる。そして、両先生の作品はどれも当然のように面白い。時代小説というのは面白いことが自明のジャンルだ、というのが俺の結論である。だから、『夢源氏剣祭文』についてもストーリーについて触れる気は一切ない。
さらにいえば、絵の美麗さについても殊更に触れる気はない。確かに、皇なつき先生の絵は美しい。繊細でありながら、骨の太い。幻想的だが、実在感のある素晴らしい絵である。しかし、それも自明のことである。そんなことは上の表紙を見ても明らかだ。そう、ニコニコ動画風に書くならば、「なんだ、ただの神か」というヤツである。神が天才的で、背の痺れるような絵を描くことは当たり前である。だから、それについても書かない。
自明のことについて書かないのには、ワケがある。話の面白さや絵の素晴らしさについて触れても、新しい読者を増やすのは難しいからである。確かに、この文章を読むまで『夢源氏剣祭文』を知らなかった人は買ってくれるかもしれない。しかし、知っていたけれど買わなかった人は、話や絵について説明されても買わないだろう。だから、自明なことは書かない。
俺が書きたいのは、主人公の少女・いばらきである。父親は功を得るため戦へ行き、母親は父を追って都へ旅立った。母は長い旅の途中に行き倒れ、娘を遺して逝く。旅路の途中で放り出された四つの娘。それがいばらきである。
このいばらきが、メチャクチャ可愛い。ぷっくりした頬、凹凸のない身体。ザンバラの髪に心を緩ませる笑顔。あどけない仕草と時おり見せる気の強い眼。どれを取っても一級に愛らしい。素晴らしい美少女。いや、美幼女なのである。
俺も萌えのストライクゾーンは広い男である。極度にデフォルメされた『苺ましまろ』や正統派の『みなみけ』はもちろん、『うしおととら』の日輪に高野文子まで、ほぼ何にでも萌えられる自信がある。意図してそうなったというより、多くのマンガを読んだ結果、鍛えられていった成果であろう。
そんな数多くの美少女キャラを見てきた俺が言うのだから、間違いない。いばらきは、未だかつてない美幼女である。横のベッドに眠り込んでいるのをた易く想像できるだけの実在感がありながら、現実にはこんな娘は存在しないだろうと確信させるだけの可愛らしさをも持っている。
はっきり書こう。萌え系のマンガが大好きなオタクこそ、このマンガ『夢源氏剣祭文』を買うべきだ。
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