先日陽気婢先生の心理描写について触れました。その時は書かなかったのですが、陽気婢先生の素晴らしさは心理描写だけではありません。特に、もう一つ俺が個人的に素晴らしいと思っているものがありまして、それ演出技法です。
 内向エロス:陽気婢
例えば、これです。画像中央にいる女性は、高校の教師をしています。教え子の少年に告白されて、将来を考えているところです。なかなか可愛らしく、素直で賢い少年です。彼女が少年と同世代であれば、すぐに返事をしたかもしれません。
しかし、はっきりと描写されてはいませんが、おそらく彼女は少年と十以上も歳が離れています。それに、高校の教師と教え子が恋仲になるというのは誉められた話ではありません。むしろ、倫理的に問題があるほどです。
また、思春期の少年が年上の女性に憧れを抱くことは、よくある話です。そして、それが長続きしないというのも、よくあります。彼女が本気になったところで、結局のところ上手くはいかず、別れることになるかもしれません。無理をしても、互いに傷がつくかもしれないのです。
ところが、男性から告白を受けたことのない彼女にとって、教え子の少年にしろ想いを寄せられるというのは、嬉しいことです。もちろん、障害はたくさんありますし、上手くいかない可能性の方が高いです。でも、もし上手くいったら、年下の可愛い少年というのは非常に魅力的です。
おおよそ、こういったことを考えさせるシーンなわけです。重要なことは、上の心理ではありません。見るべきところは、画像の左右の歪みです。まるで、カメラに映し出されているかのような、湾曲した背景です。
カメラなのです。人間が日常で目にする範囲の中で、湾曲した像は鏡とカメラしかありません。だから、読者はこのコマを見て、カメラを意識します。マンガとは、読者がどこにいるかということを考えられずに描かれています。読者は作者に成りきってもいいし、コマの中に存在してもいい。外から眺めていてもいいのです。
ところが、カメラを意識することによって、読者は自然と自分自身をコマの外に置くことになります。そして、彼女の姿や考えていることを外部から客観的に見ざるを得なくなるのです。このコマによって、読者は彼女への感情移入をストップし、内面の分からないキャラクターとして見るようになります。
このキャラクターと読者を引き離す演出が、この物語の後々に影響を与えます。彼女は少年に対して突飛な行動に出ますが、それを読者に納得させません。感情移入することによって彼女の行動を正当化させず、あくまでも彼女個人を客観的に見た感想だけを抱かざるを得なくするのです。
コマ一つで、マンガと読者の距離を調節してしまう。そんなことを簡単にしてしまうのです。だから、陽気婢先生はすごい。
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